知っているようで知らない大相撲豆知識。戦後の名力士にまつわる四股名の由来や記録などを中心に、Q&A形式でお届けします。
※分冊百科『大相撲名力士風雲録』創刊号から30号に連載した「大相撲クイズ」を編集、毎週月曜日に公開します。

※昭和40年九州場所までに17回の優勝、円熟期を迎えた大鵬
写真:月刊相撲

Q 横綱・大鵬が円熟期を迎えつつあった昭和40年(1965)、大相撲において画期的な制度の導入がありました。現在も続くその制度とは何でしょうか?

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A「部屋別総当たり制」

 同門・同系統の部屋の力士同士は対戦しない「一門系統別総当たり制」が戦後定着していましたが、時津風理事長(元横綱双葉山)が、相撲人気回復と対戦の不均衡解消を目指し、初場所から導入しました。真新しい取組が増えファンは喜んだ一方、一門のつながりがより濃かった時代だけにやりにくさを感じる力士は多く、大鵬も初日にいきなり同門の玉乃島(のちの横綱玉の海、片男波部屋)と組まれ、内掛けで敗れる苦杯。そうした制度改変も乗り越えてのV32の金字塔でした。

画像: 横綱時代の大鵬、玉の海(左)と北の富士(右、出羽海→九重部屋)

横綱時代の大鵬、玉の海(左)と北の富士(右、出羽海→九重部屋)

分冊百科大相撲名力士風雲録第3号「大鵬」掲載

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