画像: ※2004年アテネ五輪100kg超級を制し、金メダルとともに笑顔を見せる鈴木桂治 Photo:JMPA

※2004年アテネ五輪100kg超級を制し、金メダルとともに笑顔を見せる鈴木桂治
Photo:JMPA

柔道が初めてオリンピックの正式競技となった1964年東京大会から昨年のリオ五輪まで、“柔道王国”日本は史上最多のメダルを獲得してきた。そして、その長い歴史の中で燦然と輝くのは卓越した技量で他を圧倒し、表彰台の頂点を極めた金メダリストたちだ。ここでは、54年前の各階級のレジェンドから直近の大野将平、ベイカー茉秋、田知本遥まで、『日本柔道オリンピック金メダリスト列伝』として1人ずつ紹介。今回は、2004年アテネ大会100kg超級・鈴木桂治をクローズアップする。(※文中敬称略)

画像: ※優勝決定直後の鈴木桂治。歓喜の雄叫びをあげ、力強いガッツポーズを見せた Photo:JMPA

※優勝決定直後の鈴木桂治。歓喜の雄叫びをあげ、力強いガッツポーズを見せた
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2004年アテネ五輪
100kg超級
金メダリスト
鈴木 桂治

特筆すべきは逆境を跳ね返す
精神力。必殺の小外刈りで
五輪超級を制覇

 鈴木桂治は、斉藤仁らと同じ3冠(五輪・世界選手権・全日本)柔道家の一人だ。組み勝って着実に勝つ選手だった。足技は左小外刈り、出足払い、小内刈りが切れ、上体の極めが巧みだったので、相手は背中から落ちざるを得なかった。

 特に足技が得意で、相手が警戒すると前技の払い腰、内股が飛んだ。“鈴木=足技”というイメージがあるが、実は前技も得意にしていたからこそ、後技が効いたといっても良い。アテネ五輪が、その典型的な例だった。

 3試合を内股「一本」で勝ち、決勝は小外刈り「一本」。伝家の宝刀を抜いた鈴木は130kgのパワーファイター、トメノフ(ロシア)を一蹴した。5試合中、4つの一本勝ちで頂点へ。本来100kg級の彼は、必殺の足技でトメノフを破ったのだ。

 鈴木を語る上で特筆すべきは、逆境に負けない強い精神力だ。2003年の世界選手権には、選抜100kg級で勝った鈴木ではなく2位の井上が選ばれた。世界選手権2連勝の威光と実績が選出の裏づけだった。さらに選抜後の全日本で井上に負けた鈴木は、無差別の代表も見送られた。「井上が2階級に出る」という噂も流れた。

 そこから6~7月の欧州遠征で鈴木は極限の練習をし、首脳陣に代表入りをアピール。7月下旬にやっと無差別代表に選ばれた。本番ではペルテルソン(エストニア)に小外掛け「一本」で快勝。金メダルを手にした。先行きがわからない中で挫けず、頑張って取った代表の座。その精神力に多くの柔道関係者、ファンは感心し、感動した。

 全日本の戦いでも、04年は大会前に左薬指を脱臼して釣り手も満足に握れなかったが、気力で井上を攻めて「注意」勝ち。その直前の選抜100kg級は井上が優勝し、鈴木は3位。だが、全日本のこの優勝でアテネ五輪100kg超級の代表になった。ここでも、タフなメンタルが生かされたわけだ。

 もともと鈴木は100kg級なので、必ず井上と競合する。となると、決して派手ではない鈴木はどうしても首脳陣からもシビアな目で見られるというハンディも背負っていた。金メダルも、多くは1階級上で獲得。08年の北京五輪、鈴木はようやく適正階級の100kg級で2回目のオリンピック出場権を勝ち取った。しかし、この頃から世界で台頭し始めたモンゴル柔道の選手に双手刈り「一本」で敗れ、五輪連覇はならなかった。

 小学校時代から麒麟児だった井上とは対照的な鈴木だが、両者は今、東京五輪に向かって二人三脚で頑張っている。

Profile
すずき・けいじ 1980年6月3日生まれ、茨城県常総市(旧・結城郡石下町)出身。国士舘高-国士舘大-国士舘大大学院。03年世界選手権無差別優勝、04年アテネ五輪100kg超級優勝、05年世界選手権100kg級優勝。全日本選手権は04・05・07・11年の計4回優勝。現・国士舘大男子柔道部監督、全日本強化スタッフ男子コーチ。

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