果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
 周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
 一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

※かけがえのないライバル大乃国(右)に、優勝回数では大きくリードした北勝海
写真:月刊相撲

屈辱にまみれた浪速の連敗劇

 対戦すること34回。入門直後、北勝海が、

「いずれ本当の戦いのときがくる」

 と想定し、いち早くそのための戦略を巡らしたのが見事的中し、〝隣町のエリート〞の青木改め大乃国との対決は、昭和の晩年から平成の序盤にかけて土俵を彩る名勝負だった。横綱に昇進するのに2場所早く、横綱に上がってからの対戦成績でも8勝5敗(不戦敗1除く)とこの1年先輩の大乃国を上回ったところに、入門したときから雑草を自認していた北勝海の意地と執念がチラリとかいま見える。

 しかし、この宿敵に負けて血を吐く思いをさせられたことも何度か。その骨身にこたえた敗戦の一つが、横綱になって6場所目の昭和63年(1988)春場所の痛恨の〝連敗劇〞だった。

 この場所、8回の優勝のうちの半分がここ、と不思議に春の大阪と相性がいい北勝海は、初日から好調で、14日目を終わって9日目に花乃湖に喫した黒星だけの13勝1敗。もちろん、優勝争いのトップで、これで、スタートで1勝2敗とつまづき、一時は休場するのでは、と報道陣が宿舎に押しかける騒ぎまで起こした大乃国がよく盛り返し、4日目から負け知らずで激しく追いかけていた。

 北勝海と大乃国の差は、わずか1。はたして最後に笑うのはどっちか。決着は千秋楽の二人の直接対決に持ち越されたが、相撲好きな浪速っ子の予想は、ここまでの相撲内容や、体調は、頭一つリードし、本割か、決定戦のどちらか、一つ勝てばいい北勝海が断然上だった。

 北勝海の周りはもう決戦前から優勝ムード。ところが、この千秋楽対決で、北勝海は大乃国によもやの2連敗をし、大逆転を食ってしまったのだ。決まり手は、本割が「押し倒し」、決定戦が「突き落とし」だった。

「勝つ自信があったんですよ。それが本割で逆に押し倒されてしまったものですから、頭はたちまちパニック状態。これで負けたら立ち直れない、と戦う前に自分で自分を追い込んでしまったんですね。なにしろ決定戦では、稽古場でもやったこがない蹴返しをやってるんですから。それだけに、あの負けた後のショックはキツかったなあ。もう向こうの横綱(大乃国)にはこれからずっと勝てない、と本気で思い、その晩は浴びるほど酒を飲みましたよ。またタイミングの悪いことに、その翌日、首相官邸のパーティに呼ばれていましてね。朝、理事長や、他の横綱、大関らと同じ新幹線で東京に行ったんです。もちろん、大乃国さんも一緒。あの3時間はたまらなかったですね」

 と北勝海親方は、それから4年経った当時でも、この話になると唇をかみしめた。

画像: 1差リードで迎えた昭和63年春場所千秋楽、大乃国との直接対決で本割、決定戦(写真)と連敗し、 直前の優勝を逃した北勝海

1差リードで迎えた昭和63年春場所千秋楽、大乃国との直接対決で本割、決定戦(写真)と連敗し、
直前の優勝を逃した北勝海

ライバル心を支えに腰痛からの復活

 屈辱にまみれた北勝海は、その翌場所千秋楽から腰部椎間板ヘルニアのため4場所連続休場したこともあり、このショッキングな連敗後遺症から立ち直るのにそれから3場所かかった。

「とにかく、下半身がしびれて、一時は一人でトイレにも行けないくらいひどかったんですから、これで自分はおしまいだ、と半分、観念しましたが、その一方でもう一度、大乃国とやりたい、このまま辞めたんでは死んでも死にきれない、という思いもあったのは確か。リハビリ中は心身ともに口では言えないくらい辛かったですけど、大乃国に対するライバル意識が心のどこかで支えになっていたんじゃないですかねえ」

 と北勝海親方。

 待ちに待った雪辱の機会は、いきなりその腰痛が癒えて土俵に復帰したばかりの平成元年(1989)初場所にやってきた。休場明けにもかかわらず、初日から素晴らしい気迫で13連勝の北勝海は、14日目に大乃国と対戦。まるでこれまでのうっぷんを一気に晴らすようなものすごい当たりで、アッという間にこの巨漢をハジキ飛ばし、さらに余勢を駆って千秋楽でも旭富士を決定戦の末に破って、鮮やかに4回目の優勝を果たしたのだ。

「向こうはどう思っているか、わかりませんけど、自分にとってはかけがえのないライバル。こっちが逆に向こうの、これに負けたら負け越しだ、という8敗目をつけたこともありましたし(元年秋場所)、いてもらって本当によかったと思っています。現役中はお互いに意識し合っていたので、親しく口をきいたことがありませんでしたけど、そのうちにゆっくり話をしたいですね」

 と北勝海親方は、かつての宿敵を思いやる。引退は大乃国の4場所後。ここにも北勝海の負けん気がよく表れている。(終。次回からは小結・豊山編です)

PROFILE
北勝海信芳◎本名・保志信芳。昭和38年(1963)6月22日生まれ。北海道広尾郡広尾町出身。九重部屋。181㎝151㎏。昭和54年春場所初土俵、58年春場所新十両、同年秋場所新入幕。61年春場所、関脇で初優勝。同年名古屋場所後に大関、62年夏場所後に第61代横綱に昇進。幕内通算52場所、465勝206敗109休。優勝8回、殊勲賞3回、敢闘賞3回、技能賞5回。平成4年(1992)夏場所前に引退。一代年寄北勝海から八角として、部屋を経営。第13代日本相撲協会理事長。

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