悔しさを乗り越え、5年目の5区再挑戦

 東洋大学で箱根駅伝の山上りといえば、2009年から12年まで4年連続で5区区間賞(区間新は3回)を獲得し、「山の神」と呼ばれた柏原竜二さん(17年に競技を引退)がおなじみだろう。その柏原さんの後継者として期待を受け、2011年に東洋大に入学したのが五郎谷俊(コモディイイダ)だった。その五郎谷は今、スカイランニングという競技で活躍中だ。スカイランニングとは、簡単に説明すれば、山岳や超高層ビルを駆け上がる(駆け下りるレースもある)競技のこと。まさに、「山上りのスペシャリスト」だ。

 五郎谷の5000mの自己ベストは14分18秒95で、これは遊学館高(石川)2年時にマークした記録だ。高校2年生としてはなかなかのタイムで、この年には、インターハイの5000mで決勝に進出。全国高校駅伝の1区では区間10位と好走した。ちなみに、この年の1区は、大迫傑(Nike)、市田孝(旭化成)、服部翔大(Honda)、中村匠吾(富士通)、宮脇千博、窪田忍(以上トヨタ自動車)、設楽啓太(日立物流)、など、そうそうたる顔ぶれがそろっていた。

 当然平地での活躍も見込まれたが、東洋大のスカウト陣は早くから五郎谷の上りの特性を見抜き、山上りの候補として声をかけていた(今にして思えば、そのスカウトの目には驚く)。五郎谷も「平坦を走るよりも、上りのほうが、みんなよりも前に進んでいく感覚がある」と、上りが得意なのを自覚しており、高3時はケガに苦しんだが、「柏原さんみたいな活躍をしたい」と、憧れの箱根駅伝出場をモチベーションに努力を怠らなかった。

 強豪の東洋大に進んだものの、五郎谷は伸び悩んだ。選手層の厚いチームにあって、記録会等の試合に出ても成績はパッとせず、実力はチーム内で下のほうだった。「本当にやめたいくらい、つらい時期もあった」ほどの挫折感を味わった。それでも、箱根出場への強い思いは絶やさず、「(自分には)山しかない」──その思いで、箱根5区だけに照準に絞り、起伏の多いロードレースや駅伝に出場し活躍を続け、大学4年目にして初めてその役目を手にした。

 しかし、緊張もあって区間11位と振るわず、目標としていた試合で大きな悔いを残した。競技者生活は大学4年間で区切りをつけるつもりだったが、「このままでは終われない」と、留年して競技続行を志願。酒井俊幸監督や両親を説得し、翌年再び箱根の山に挑んだ。そして、2度目の箱根5区は区間3位と活躍をみせた。

東洋大5年時に箱根駅伝5区へ再挑戦。4区の1年生・小笹椋(現キャプテン)からタスキを受けて快走、区間3位とリベンジを果たした(写真=井出秀人)

日本代表として9月の世界選手権へ

 大学卒業後は、東京、埼玉、千葉、茨城でスーパーを展開しているコモディイイダに進み、店舗に勤務しながら駅伝部に所属、チームとしてニューイヤー駅伝出場を目指している。そして個人では、学生時代に培った経験を生かし、スカイランニングやトレイルランニングの、さまざまな大会に出場している。

 五郎谷がスカイランニングの道に進むきっかけとなったのは、今は亡き父・浩一さんから「留年してまで上りをやるんだったら、箱根だけでやめてしまうのはもったいないんじゃないか。上りの大会も探せばあるし、そういうレースを走っていく道もある」という後押しがあったからだった。そして、今やこの競技の第一人者となった。

 五郎谷は、社会人1年目の2016年に、日本最古のスカイランニングレースである富士登山競走の五合目コースを大会新記録で制すると、17年、18年と山頂コースで2連覇を果たした。そして、今年9月13~15日にイギリスで開催されるスカイランニングの世界選手権(2年に一度開催)に、日本代表として挑む。

「走るという競技には本当にいろんな道があり、平坦地だけじゃなく、垂直にも道はある。世界大会はトラック、マラソンだけじゃないっていうのをみんなに見せたい」

 五郎谷にとっては、今回が初めての世界大会。“箱根から世界へ”とは、箱根駅伝の創始者の1人、金栗四三が箱根駅伝に託した思いだが、五郎谷もまた、金栗の理念を体現した1人のランナーとなる。

文=和田悟志

※8月22日発売のクリール10月号にて、五郎谷選手へのロングインタビューを掲載しています。

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