果たしてオレは、この大相撲の世界で大成できるのか――。
 周りのライバルたちとはもちろん、自分の心の中に渦巻く不安との闘い。そんな苦しい手探りの中で、「よし、これだっ。こうやったら、オレはこの世界で食っていけるぞ」と確かな手応えを感じ取り、目の前が大きく開ける思いがする一瞬があるはずです。
 一体力士たちは、どうやって暗闇の中で、そのメシのタネを拾ったのか。これは、光を放った名力士たちの物語です。
※平成4~7年『VANVAN相撲界』連載「開眼!! 相撲における[天才]と[閃き]の研究」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

※稽古に汗を流す若嶋津も、入門から数年は軽量に苦しんだ 
写真:月刊相撲

【前回のあらすじ】高校相撲でキャリアを積んで入門した若嶋津は、ケガから回復し臨んだ序二段の優勝決定戦で、慢心から取りこぼし、優勝を逃してしまう。照れ笑いをしながら支度部屋に戻ると、貴ノ花に愛の制裁を受けるが、それが発奮のきっかけとなった――

軽量に悩むころ、師匠からのある厳命

 適度なら快調なのに、度が過ぎると死ぬほど苦痛になる、ということは、この世の中にヤマほどある。睡眠もそうだし、食べることもそうだ。

 新弟子検査のとき、若嶋津は身長184センチ、体重78キロだった。それから1年半後の計測では185センチ、86キロ、と8キロ太っていた。

 しかし、他の力士に比べると、まだ、まだ、だ。このため、若嶋津は入門すると、いかに太るか、というのが、いかに稽古して強くなるか、というのと同じくらい重要な課題だった。

「一緒に初土俵を踏んだ同期生の一人に太寿山(現花籠親方)がいるんですが、コイツがまた、ものすごい大食漢なんですよ。焼肉なんか、ホントに20~30人前、ペロッといっちゃうんですから。ああいうヤツと一緒に食べると、こっちもつられてつい食べちゃいますからね。少しでもたくさん食べて、1グラムでも太ろうと思って、よく二人連れ立って食事に行きました。でも、もともと胃袋が小さいものですから、ある程度食べると、もうそれ以上はなかなか入っていかないんですね。せっかく詰め込んでも、店を出たところで我慢できなくなって吐く、ということがしょっちゅうありました」

 と引退し、この食べる苦痛から解放された若嶋津は、そのつらさを語っている。

 酒でも飲めると、その勢いを借りて詰め込む、という方法があったが、入門直後はこのアルコール類もまったくだめ。

「お前は、これを酒と思うから飲めないんだ。太るし、よく眠れると思ってみろ。そうしたら、たとえ目をつぶってもノドを通っていくはず。いいか。これから毎日、メシの前にコップ1杯ずつ、日本酒を飲め。これは、師匠命令だ」

 と若嶋津が二子山親方(元横綱初代若乃花)に厳命されたのは、貴ノ花の愛の鉄拳制裁からちょうど1年後の昭和52年(1977)九州場所のときだった。

画像: 同部屋同期の太寿山(左)とは、常に行動をともにする仲良しだった

同部屋同期の太寿山(左)とは、常に行動をともにする仲良しだった

日本酒効果で待望の三ケタに乗る

 この場所、若嶋津は待望の幕下に昇進したばかりで、おおいに張り切っていた。ところが、いざ、場所が始まると、なんと一番相撲からいきなり3連敗と悪夢のスタートを切る羽目に。その敗因ははっきりしていた。

 体力不足だ。三段目と幕下では相手の体の大きさが一回り違っている。背だけヒョロヒョロッとしている若嶋津は、体力負けしてしまい、あと一歩というところまで攻め込むものの、ことごとく押し潰されてしまったのである。

 このままではせっかく苦労して這い上がった幕下の座も、たった1場所で明け渡さなくてはいけない。これからの道の遠さを思うと、若嶋津の気持ちは萎えた。

 その3連敗をした翌朝、若嶋津は二子山親方に呼ばれると、

「お前は、幕下ということを意識し過ぎとる。土俵に上がったら、余計なことは考えず、ただ思い切っていけばいいんだ。分かったか」

 というアドバイスとともに、この飲酒命令を受けたのだ。

 その日から、若嶋津は朝の稽古が終わり、ちゃんこを囲む30分前にコップに半分、日本酒を注ぎ、目をつぶってグイッと飲むのが日課になった。コップ一杯だと下戸の若嶋津には多過ぎて酔っ払い、ちゃんこを食べるどころではなくなってしまうからだった。

 確かに、酒を飲むと、師匠が言うように食が進み、気もおおらかになってくよくよしなくなる。すると、土俵でも信じられないような奇跡が起こった。なんと次の四番相撲から面白いように目が出始め、4連勝して4勝3敗と勝ち越してしまったのである。

 この逆転勝ち越しがもたらした効果は計り知れなかった。若嶋津は、いっぺんに太る秘訣と、土壇場で開き直るコツの二つをものにしたのだ。この鮮やかな勝ち越しを決めたときの飛び上がりたくなるようなうれしさは、15年以上が過ぎても、若嶋津の胸に昨日のことのように生々しく息づいているという。

 それから2年半後の55年5月、若嶋津の体重は、この日本酒効果でついに100キロの大台に乗った。さらに、その2年後には120キロ台に。若嶋津が待望の大関昇進を決めたのは、この体重が120キロ台に乗って2場所目、57年九州場所のことだった。(続く)

PROFILE
若嶋津六夫◎本名・日高六男。昭和32年(1957)1月12日、鹿児島県熊毛郡中種子町出身。二子山部屋。188㎝122㎏。昭和50年春場所初土俵、55年春場所新十両昇進時に日高から若島津に改名、56年初場所新入幕。57年九州場所後、大関昇進。58年秋場所、若嶋津に改名。59年春場所初優勝。幕内通算40場所、356勝219敗13休、優勝2回、敢闘賞2回、技能賞3回。62年名古屋場所で引退後、年寄松ケ根を襲名。平成2年1月に独立して松ケ根部屋を創設、26年12月には二所ノ関に名跡変更。小結松鳳山、幕内若孜、春ノ山らを育てる。

This article is a sponsored article by
''.