マラソン理論の基礎を築いたといわれたニュージーランドの伝説的なランニングコーチ、アーサー・リディアード。そのトレーニング理論をリディアード・ファウンデーションの橋爪伸也氏にひも解いてもらう。
※『ランニングマガジン・クリール』2017年5月号から2018年4月号まで掲載された連載を再構成しました。

もうひとつの成功物語

 前回は「リディアードのサクセスストーリー」として、ローマ五輪(1960年)でのローカル選手たちの大活躍をご紹介しました。

世界初のジョギングクラブで。中央がアーサー・リディアード

 しかし、リディアードの「サクセスストーリー」には、実はもう一つ、第二幕があるのです。「有酸素能力を高める」というトレーニングのコンセプトが、実は思わぬ副産物を生み出すことになったのです。

 ローマ五輪の翌年、61年に、クラブの会食の場で、有酸素トレーニング(※当時は「有酸素」という用語すら知る者は皆無)の効用を説明したリディアードのもとに、数人の肥満気味のビジネスマンがやって来て尋ねました。

「心臓も筋肉なので、(長くゆっくり走ることで)鍛えることができる、というあなたの考え方の原点は、私たちのように心臓病を患ったことのある中年男にも適応できるものなのでしょうか?」

 これが「ジョギング」の発端となったのです! 世界で初めての「ジョガーの集い」は62年2月11日、ニュージーランドのオークランド市郊外のコーンウォール公園だ、と記されています。

 この日集まったのは約20人。最年少が50歳、最年長は72歳で、全員が一度は心臓発作を起こしたことのある方々でした。そして、彼らのほとんどが200mも走ったところで「ツリー・ハガー(Tree Hugger=木に抱きつく人)」となり果てて、ハーハーゼイゼイ。

 しかし、これに懲りることなく、リディアードは「絶対にむきになって競争心をむき出しにしないように。『鍛えよ、しかし無理をするな』(Train, Don't Strain)だ」と指導します。

「人間は競争心にあふれている。『練習』を『競走』に置き変えないように!」

 中年太りのおじちゃん連中、「競走するな」と言われて全員が大笑い。しかし、わずか数週間で、そのアドバイスがいかに大切で適切だったのかを痛感します。

50~73歳が全員32㎞走破

 とにかくゆっくり、ゆっくりで「足で稼ぐ時間」を延ばすようにと、リディアードから教えを受けます。

 体力がつくにつれて、速く走りたくなる誘惑を我慢して、2~3日ごとに少しずつ時間を延ばしていきます。すると、あれよあれよという間に1時間、1時間半、そして2時間近く走れるようになります! その間に心拍数は徐々に下がり、安静時の心拍数が90拍近かった人も50台に減少。体に取り入れる酸素量が増えるにつれて、仕事がはかどるようになりました。おまけにゴルフのスコアまで良くなって、みんなビックリ!

 そして8カ月後、全員で20マイル(32㎞)を走ることになりました。

画像: (上)1960年のローマ五輪の陸上ニュージーランド代表選手のうち、リディアード(右から3番目)が指導した5選手と

(上)1960年のローマ五輪の陸上ニュージーランド代表選手のうち、リディアード(右から3番目)が指導した5選手と

 この「ジョギング」に興味を抱いた地元の新聞記者が、冷やかし半分で「地元ジョガーがランニング中に死亡!」という見出しを思い描いて、自転車に乗って彼らの後を追ってきます。ところが約3時間後、ハーハーゼイゼイしていたのはその新聞記者だけでした。

 初日に200mしか走れなかった「ツリー・ハガー」たちは、全員が32㎞を完走したのです! しかも、そのうち8人はフルマラソンにも挑戦して、全員が完走しました。タイムも4時間前後だったというから驚きです!

 このときの最年長、アンディ・ステッドマン(当時73歳)は、翌63年のクリスマスに、アメリカからのゲストと8㎞のジョグを行い、えらく驚かれました。そのゲストとは、オレゴン大学陸上部コーチのビル・バウアーマン。当時、既に名をはせていた一流指導者でしたが、「ジョギング」に強く心を引かれ、ニュージーランドの滞在を当初の6日間から6週間に延長。その間、リディアードから直接「ジョギングの神髄」を学びました。

市民が走れる自由を手中に

 アメリカに帰国したバウマーマンは、教え子と一緒に小さな靴会社(ブルーリボンスポーツ=のちのナイキ)を始め、地元オレゴンで「ジョギング」の普及を始めます。彼がオレゴン州の片田舎の大学都市、ユージーンで始めた「ジョギング教室」は、やがて2000人にも膨れ上がっていくのです。

 後にケネディ大統領から「栄誉のメダル」を授かったバウアーマンは、その授与式で「私は単なる使徒でしかない。アーサー・リディアードこそが伝道師だ」と言ったそうです。

画像: リディアード(右)と、ビル・バウアーマン(左=元オレゴン大監督で、ナイキ創設者の1人)

リディアード(右)と、ビル・バウアーマン(左=元オレゴン大監督で、ナイキ創設者の1人)

 この2人から始まったジョギング・ムーブメントは、あたかも大草原の野火のごとく世界中に広まっていきます。それまでは夜中に天下の公道を走るなどという人は、1人もいませんでした。オリジナルのジョガーのなかには、暗くなってから走っていて、お巡りさんに“不審尋問”された人さえいたとのこと。オリンピックを目指すようなエリートランナーではない限り、「トレーニングする」などというコンセプトは皆無だった時代だったのです。

 それがこのジョギング・ムーブメントによって、誰でも、どんなレベルの人であっても、いつでもどこででも、「走れる自由」を手に入れたのでした。 (敬称略)

アーサー・リディアード
1917年ニュージーランド生まれ。2004年12月にアメリカでのランニングクリニック中に急逝。50年代中頃、「リディアード方式」と呼ばれる独自のトレーニング方法を確立した。その方法で指導した選手が、60年ローマ五輪と64年東京五輪で大活躍。心臓病のリハビリに走ることを導入した、ジョギングの生みの親でもある。

著者/橋爪伸也(はしづめ・のぶや)
三重県津市出身。1980年からアーサー・リディアードに師事。日立陸上部の初代コーチを経て、バルセロナ五輪銅メダリストのロレイン・モラーと「リディアード・ファウンデーション」を設立。2004年以降はリディアード法トレーニングの普及に努めている。現在は米国ミネソタ州在住。

リディアード方式のトレーニングはこちら

This article is a sponsored article by
''.