※写真上=世界奪取前と同じく静岡・清水合宿から本格始動した伊藤雅雪(中央)。4年前からフィジカルトレーニングの指導を受ける吉田達矢さん(左)と、右は元・伴流ジムのプロ選手で練習パートナーとして帯同した久保宗義さん

 WBO世界スーパーフェザー級王者の伊藤雅雪(伴流)が本格始動。7月、日本人ボクサーとしては37年ぶりにアメリカから世界のベルトを持ち帰り、一躍脚光を浴びたチャンピオンがリスタートの場所に選んだのは、静岡市清水区だった。

 10月13日から15日まで3日間の短期合宿。午前中は富士山を背景にいただく景勝地として名高い三保の松原の砂浜、Jリーグ・清水エスパルスのホームスタジアムがある日本平運動公園の坂道を徹底的に走り込んだ。午後は清水区江尻町の『バランスアップ鍼灸整骨院』に併設されているトレーニングジム『バランスアップ』でフィジカルトレーニング。年末開催が濃厚とされる初防衛戦に向けて、しっかり土台をつくりあげた。

 アメリカ・フロリダ州キシミーで行われることになるクリストファー・ディアス(プエルトリコ)との王座決定戦が、まだ正式発表になる前の4月下旬にも合宿を行なった場所。伊藤が「体もそうですけど、ここからボクシングだという感じになるし、気持ちが引き締まりますね」と言うように、心身ともに戦闘モードに切り替えるには絶好の環境だった。

吉田代表との出会いが始まりだった

 東京の下町出身、所属ジムも亀戸にある伊藤が清水でトレーニングを行うようになったのは、4年ほど前のこと。2014年7月30日の仲村正男(渥美)戦の前からだった。当時日本7位ながら、シャープな右カウンターを主武器に上昇中だった伊藤にとって、高校時代に2冠の実績があり、IBF5位にランクされる強打の元東洋太平洋王者とのノンタイトル戦は、ターニングポイントにも位置づけられる重要な一戦だった。

 小差3ー0の判定で仲村に競り勝ち、生き残った23歳の伊藤だが、まだジムのスポンサーだった会社で働くサラリーマンでもあった時期。東京から会社の拠点がある静岡まで出張に行くこともしばしばだったという。そこで「出張に行ったときでもトレーニングができるように」と社長に紹介されたのが、『バランスアップ』を運営する吉田達矢代表だった。

 競輪選手を中心に清水エスパルスの選手もトレーニングの指導を受ける通称『吉田道場』には、各種トレーニングマシンをはじめ、高地トレーニングの環境を再現可能な低圧低酸素ルーム、疲労回復に効果がある高圧高酸素ルームも備え、効果的なトレーニングが行える設備がそろっている。

 伊藤が取り組んできたテーマは筋力アップというより「乳酸耐性を高め、持っている筋力をいかに最後まで使いきれるか」(吉田さん)。ラウンド終盤や5発目、6発目のパンチでも力を出しきれる筋持久力の強化に主眼を置いてきた。「簡単に言えば、水中で動作を行うのと同じような効果がある」という油圧式のマシンを使ったサーキットトレーニング、パワーマックス、低酸素ルームでのバイク漕ぎも、求めている効果はそこに集約されるという。

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苦しくも、人生が凝縮されたサラリーマン時代

 思い立って、東京から練習を公開する清水まで足を運んだのは、どんな環境で、どのようなトレーニングをしていたのか、知りたかったことはもちろんだが、いちばんの理由は以前の伊藤の言葉を思い出したからでもあった。

 4月の清水合宿に入る直前。あとは世界戦の正式決定の報を待つばかりというころだった。話の流れで伊藤に「これまでを振り返って、いちばん苦しかったことは?」と尋ねたことがあった。

「サラリーマンをやってたときは精神的に参ってました。子どもも生まれて、お金も苦しかったですし、でもボクシングも大切な時期で、どれを優先すればいいんだろうっていうか……。朝5時、6時に起きて走って、7時半ぐらいに会社に行って。夜7時、8時から練習できればいいほうで。夜11時までかかるのが当たり前のこともあったし、結局、練習できない日が続いたときもありました。夜遅くに家に帰ったら、子どもが夜泣きをしていたり。ずっと疲弊した状態が続いてましたし、『オレ、こんなんでいいのかな?』っていうころが、いちばんキツかったです」

 仲村戦から約半年後、当時の日本王者・内藤律樹(E&Jカシアス)に挑戦したときは、前日まで会社の商品の展示会に出て、「計量を終えて、また展示会に戻ったりしてました」。内藤にプロ初黒星を喫してから恒例となり、飛躍のきっかけにもなったロサンゼルス合宿も、当初は会社の出張扱い。スパーリングでくたくたになりながら、現地で仕事もこなさなければならなかったという。

 大学在学中に無敗で全日本新人王となり、その後も勝ち続けてはいたものの、高校1年から付き合い、結婚した妻や生まれてきた子どもの生活を守る責任もあった。まだ自分がボクシングで何者かになれるのか、確信は持てなかった。

 後援会やスポンサーの支援を得て、ボクシング1本で勝負できるようになったのは2016年1月から。内藤戦の半年後に東洋太平洋王者となり、初防衛を果たしてからである。

 2015年は、よくジムを訪ねて、伊藤を取材させてもらっていた時期で、仕事が長引いて時間に遅れることもあれば、仕事との両立の悩みを漏らすことも少なくなかったことを思い出す。

 それでも仕事があったからこそ、支えられたボクシング人生。「もちろん社長とは今も付き合いはありますし、一生忘れられない恩人だと思ってます」という伊藤はこうも言っていた。

「内藤戦もいい経験になって、順調に来たよねと言われることが多いんですけど、僕の中では全然、順調って気持ちはなくて。本当に辛かったこともありましたし、仕事や家族のことも含めて、このままやっていけるのか、悩んだこともありました。でも自分の人生が凝縮された時間だったし、すごく人として成長させてくれた時間でもありました。今、すごく濃いボクシング人生を送らせてもらっていて、それが自分の中ですごく幸せで。だけど、終わりって突然来ると思ってるし、今の幸せな時間が少しでも長く続くためにも頑張って、結果を出さないといけないですね」

 見てのとおりの爽やかなイケメンで、いかにも「下町のあんちゃん」という風情の、気さくで人懐っこく、明るい性格。これから人気者になる要素を十二分に備える伊藤だが、日本のプロボクサーのほとんどが大なり小なり抱えているであろう葛藤を乗り越えてきたことを忘れてはいけないと思う。

 早朝に東京を出て、出張先の仕事を終え、ハードなトレーニングをこなす。疲れた体を抱えながら、社用車のハンドルを握り、清水からまた東京へと帰る。その道すがら、伊藤は何を思っていたのだろうか。「オレ、こんなんでいいのかな?」と、弱音を吐きたくなることもあったのではないか。

語っていた言葉を、現実のものに。そして、それにはまだまだ“続き”がある

 すっかり暗くなった新幹線の車窓越しの景色を眺めるともなく眺めながら、そんなことを考えていたとき、『バランスアップ』の吉田さんの「ここに来たころからマサが言っていたことが、現実になりました」という言葉を思い出した。

「当時からマサは絶対に世界チャンピオンになる、と。それも、ただのチャンピオンじゃなくて、アメリカで試合をするようなスーパーな世界チャンピオンになるんだと、きっぱり言っていました」

 苦しいときも伊藤を支えてきた夢には、だから、まだ続きがある。

「来年、アメリカで大きい試合をするためにも次の試合が大事です。この前のように1ラウンドから攻めて、攻めて、後半に倒すのがベスト。しっかりアピールして、僕にしかできないビッグチャレンジをしていきたいです」

 10月下旬からロサンゼルスの岡辺大介トレーナーを呼び寄せ、本格的なスパーリングを開始する。これまでのように来月上旬に渡米し、1ヵ月以上にわたるスパーリングで仕上げていく。

 幸せな時間が少しでも長く続くために――。伊藤の戦いがまた始まる。

夢にはまだまだでっかくて広い続きがある。そこに向かって伊藤は走り続ける

文&写真_船橋真二郎
Text&Photos by Shinjiro Funahashi

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