写真上=18年のプロ生活にピリオドを打った河野(右)と渡辺会長
写真◎船橋真二郎

「プロボクサーを引退します。燃え尽きたと思えるまでボクシングをすることができ、本当に幸せです」ーー。11月22日、元WBA世界スーパーフライ級王者の河野公平(ワタナベ)が東京・五反田のジムで会見を開き、現役引退を表明。通算46戦(33勝14KO12敗1分)、18年に及んだプロキャリアにピリオドを打った。

18年前のプロデビューと同じ日に

 この日は誕生日の前日で奇しくも18年前のプロデビュー戦と同じ日。十代最後の日の記念すべきリングは判定負けだった。二十歳の誕生日は「顔に青タンをつくって、1日中、泣いていた」と振り返ったが、この悔しさが「典型的な努力でチャンピオンになった選手」と渡辺均会長が称えた“努力の人”の真のスタートになった。

 東亜学園高校時代は陸上部。「生命線」というロードワークで代名詞のスタミナを養い、高橋智明トレーナーとのジムワークで鍛えられた。また、デビュー戦の負けで火がついた父・豊蔵さんが自宅のリビングを練習場に造りかえ、通称“リビング・ジム”でもトレーニングを重ねる日々だった。

 2007年、地道な努力は実を結ぶ。1勝1敗の宿敵・菊井撤平(花形)と決着をつけ、2月に日本王座を奪取。念願のベルトを巻くと、10月には東洋太平洋王座も獲得し、2冠王者となる。だが、なかなか手が届かなかったのが「心の底からなりたかった」という世界チャンピオンのベルトだった。

 2008年9月、初の世界戦は元王者の名城信男(六島)と空位のWBA王座を争うが、僅差1-2の判定で涙を飲んだ。2年後の2010年9月に迎えた2度目はトマス・ロハス(メキシコ)とのWBC王座決定戦。最終ラウンドのダウンで一矢を報いたが、大差の判定で敗れると、ここから3連敗を喫した。

3度目の挑戦で豪快に世界奪取

 再起を期した日本王座挑戦は、のちのWBC王者・佐藤洋太(協栄)に右アッパーで痛烈に倒された末に判定負け。続く元アマ国体王者でプロ3戦目の戸部洋平(三迫)にも判定を落とす。ホープの踏み台にされ、どん底まで突き落とされた。再起は果たしたものの、頸椎ヘルニアを発症するなど、道は閉ざされたかに思われた。

 だが、日本9位で迎えた2012年の最後に大願を果たすことになるのだから、運命とはわからない。9月、渡辺会長から世界ランカーと戦うチャンスをもらい、「最後のチャンス」と発奮。見違えるようなボクシングで完勝すると、大みそかのリングでテーパリット・ゴーキャットジム(タイ)を4回KOで豪快に沈め、32歳1ヵ月、3度目の挑戦で、ついにWBAのベルトを手にするのである。

 その後、初防衛戦で手放したベルトを2014年3月に奪還し、2度目の王座に。アメリカ・シカゴで亀田興毅を破り、V2を果たしたときは「周りがすごく盛り上がってくれて、3回、チャンピオンになった気分だった」と笑った。王座陥落後、挑戦者探しが難航していた井上尚弥(大橋)陣営からオファーを受け、果敢に挑戦。6回TKOで散ったが「井上くんは格別に強かった。選んでくれて、感謝しています」と河野。さらに「海外で強い選手と戦えることがモチベーションだった」と香港、オーストラリアで世界上位ランカーと連戦。今年5月19日のジェイソン・マロニー戦(6回終了TKO負け)がラストファイトになった。

第2の人生は模索中

 2人3脚で歩んだ高橋トレーナーには「お前のおかげでエディ賞(2015年)を取れたよ」、両親からは「公平は誇り。いい夢を見させてもらった」と感謝の言葉を送られた。戦い続けてきた人は「燃え尽きた」という一方で「血管が沸騰するような喜びを味わえないと思うとさみしい」とぽつり。今後のことは未定だが、父のカイロプラクティック治療院を継ぐことも視野に入れ、1児の父として、夫として、第2の人生を模索する。38歳の誕生日が新たなスタートになる。

「2回、チャンピオンになったことは誇りに思っていますが、そこに縛られてもダメ。ボクシングと同じように、1からコツコツやっていかないといけないと思っています」

 来年1月12日には後楽園ホールで引退式を行い、思い出の詰まったリングに別れを告げる。

取材◎船橋真二郎

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