自身初の単独表紙となった週刊プロレス1954号をiPadで見せつけた鈴木秀樹
写真◎週刊プロレス

創刊2000号記念押しかけインタビュー

2月27日発売号をもって創刊2000号を迎えた週刊プロレスでは中カラー特別企画として「2000号記念特集」を掲載。さまざな形で誌面を彩ってくれた現役および引退したレスラー50人からお祝いの言葉をいただき、週プロにまつわる思い出を語っていただいていますが、近年の本誌&週プロモバイル、そして当サイトを賑わしてくれている〝プロレス界随一の偏屈者〟鈴木秀樹選手も2000号記念ということで、わざわざ記者を呼び出して週プロの思い出や今後へのメッセージを語ってくれました。天邪鬼、ひねくれ者と言われる一方で、〝人間風車〟ビル・ロビンソンからキャッチ・アズ・キャッチ・キャンを学び、〝燃える闘魂〟アントニオ猪木から薫陶を受けている稀有なレスラーである鈴木は、らしさ満載のコメントを散りばめながら、週プロの思い出を語ってくれました。

画像: 故ビル・ロビンソンからキャッチ・アズ・キャッチ・キャンを学び、アントニオ猪木から薫陶を受けている鈴木

故ビル・ロビンソンからキャッチ・アズ・キャッチ・キャンを学び、アントニオ猪木から薫陶を受けている鈴木

IGFが育んだ、週プロとの共犯関係

――週プロが創刊2000号を迎えました。IGF時代にはじまり、ZERO1、WRESTLE‐1、大日本、アイスリボンと鈴木さんには本誌だけでなく、さまざまな形で週プロを賑わしていただいてますが、週プロと言われてはじめに思いつくことはなんでしょうか?

鈴木 やっぱり将軍岡本が最近全然取材されてないことですね。

――いきなりの将軍ネタ!(苦笑) 将軍岡本と言われてもこのサイトを見ている方はわからないと思うので、最初ぐらいは普通に語ってください!

鈴木 そうですか? じゃあ真面目に振り返ると、一番最初に大きく扱ってもらった鈴川(真一)さんとの試合(2011年7月10日、JCBホール)ですね。問題作って書かれましたけど。(当該記事を担当した記者に対して)というかIGF担当、長かったですよね?

――2007年の旗揚げから消滅までやりましたからね(苦笑)。足かけ11年ぐらいです。

鈴木 11年! 普通1回ぐらい担当変わってもおかしくないのに(苦笑)。まぁ問題作の記事もそうですけど、IGF時代っていろんなところに行ったじゃないですか。

――中国やパキスタンなどIGFは猪木さんの闘魂外交で動いていたので、ほかの団体じゃ行かないような国にも行ってましたからね。

鈴木 そういう時、週プロはほとんど一緒だった。IGFは基本的にプロレス界という世界のホントの外れにあった離れ小島みたいな団体だったので、記者の人ぐらいだったんですよ、外界との接点って。1週間に一回、離れ小島に物量を積んで来る船が週プロとか東スポの記者。でもその分、ほかの団体、ほかの選手に比べたら(週プロとの)接点は多かった気がしますね。

――確かに弊社と東スポのIGF担当記者はよくIGF道場に顔出してましたね。

鈴木 暇潰しに来てましたもんね(笑)。

――暇つぶし…まぁ否定できませんけど(苦笑)。

鈴木 ワハハ! 会見とかだけじゃなく、何もないのに道場来て、将軍岡本さんが作ったチャンコ食べたり。

――でも、それってひと昔前の取材スタイルなんですよ。いわゆるメジャー団体になりますけど、2000年の始めぐらいまでは事務所とか道場にマスコミが集まって、選手を捕まえて取材したり、スタッフと雑談をしてネタをもらったり。いまはもうそんな団体ないですけどね。

鈴木 どこかの団体をディスってるんですか?

――違いますよ!(苦笑)。

鈴木 それは猪木さんの団体だったからでしょうね。僕らも記者の人がいたらダメとかなかったですし。そういうのもあったから、僕がほかの選手に比べて週プロを使いこなせている…と言ったら語弊がありますけど、良くも悪くもお互いに利用できてるのかなと思います。基本的にはお互い足を引っ張り合って、結構な頻度で炎上しますけど(笑)。

――忖度を疑われたり(苦笑)。

鈴木 苦情が来たり。言ったら僕と週プロは共犯じゃないですか。週プロというか、僕とあなた(=担当記者)は共犯ですよ。

――私の上司だった永島勝司さんもかつて「俺と猪木は共犯関係にあったんだよ」と名言を残してました。

鈴木 でも実際、記者が団体の道場なり事務所に張ってた時代があるわけじゃないですか。わからないですけど、それがなくなったから多少なりとも(距離が)離れた部分があるのかなと思いますし、僕はその点、近いのかなと思いますね。

――鈴木選手はフリーなので、そもそも事務所も道場もないんですが、なぜか近いですよね(苦笑)。

鈴木 基本的に暇を持て余してますからね(苦笑)。つかまらないことがない。

――ほかの選手だと「取材お願いしたいんですが、今週忙しいですか?」とかオファーしても、「いま巡業に出てて」とかスケジュールがあわないケースがありますけど、鈴木さんの場合、早ければ「今からでもいいですよ」となりますからね(笑)。

鈴木 仕事がないんで(家に)いるんですよ。今日だって頭から夜までヒマですよ。あまりにやることなかったんで…(というヒマ自慢は割愛)。

――そのぐらい鈴木秀樹は捕まえやすいということですね(笑)。

鈴木 でも、捕まえやすいっていう意味では僕より暇な将軍岡本という男が…(と将軍岡本へのディスりが延々続いたが、これも割愛)。

画像: 鈴木が初めて大きく扱われた2011年7月の鈴川戦。試合は師匠の宮戸優光GM(当時)が裁いた

鈴木が初めて大きく扱われた2011年7月の鈴川戦。試合は師匠の宮戸優光GM(当時)が裁いた

書かれる立場と書く立場、両方で見れるようになった

――将軍の話はそれぐらいにして、思い出に残ってる週プロと言えば、2011年の鈴川戦の試合リポートになりますか?

鈴木 そうですね。それ以前にも誌面に載せてもらうことがありましたけど、あそこで、こういうことをしたら書かれるんだなって気づけたというか。グチャグチャになる試合がいいっていうわけじゃなくて、人の記憶に残るようなことをやらなきゃダメなんだなってあそこで分かったというか。そうは言っても実践できるまで時間かかりましたし、踏ん切りつけなきゃダメだなとも思いましたね、自分のなかで。

――踏ん切り、ですか?

鈴木 はい。僕のなかで(2014年3月に)フリーになったのが踏ん切りだったんです、たぶん。でも、あれから(鈴川戦以降)よく書いてもらいましたよね、アーツの時とかいろんな試合を。

――僕のなかでもあの鈴川戦が踏ん切りになった気はしますね。それまでは前半戦に出てくる地味な若手だった鈴木秀樹を大きく取り上げていいんだという空気を、あの試合が作ってくれたというか。

鈴木 なるほど。ああいうことがないと扱わないですよね。僕も、それまでは書かれる立場でしかいなかったけど、書く立場からも見れるようになったというか。両方を見てやらなきゃいけないんだなって、ちょっとわかったというか。

画像: 高円寺の高級中華料理店で週プロの思い出を語ってくれた鈴木

高円寺の高級中華料理店で週プロの思い出を語ってくれた鈴木

初の週プロ表紙は、ブラッシー以来49年ぶりの噛みつき!

――去年4月の1954号で初表紙を飾りました。

鈴木 単独では初めてでしたね。

――あれ? それ以前ってありましたっけ?

鈴木 一騎当千の特集が表紙になったとき、いっぱいいるなかの1人としてはありましたね(2016年2月24日1837号)。

――あー、ありましたね。

鈴木 でも、単独というか僕中心で載せてもらったのは去年の4月が初めてでしたね。

――少なからずうれしいものですか?

鈴木 それはうれしいですよ。今年(選手名鑑に)1000人載ってて、1年間その1000人が活動したとして表紙になれる人ってたぶん50人いないですよね。30人か、下手したら20人いないんじゃないですか。その中から選ばれたというか、売れる商品として見てもらえたんだなと。そういう意味でも良かったというか。

――週刊プロレスという商品の1週間の顔なわけですからね。

鈴木 たぶん部数は去年1年間で一番低かったと思いますけど、あの時、湯沢さん(編集長)も札幌に来られていて。奈良さん(大日本プロレス担当)がいて、カメラマンが菊田さんで。試合終わったあと、「表紙の可能性もあるんで、違う写真撮らせてもらっていいですか?」って言われて、いろいろ撮ってもらって。

 で、週が明けて、僕の個人的な担当記者から連絡があって、「表紙おめでとうございます!」と。「でも、これ、どういう意味がある場面なんですか?」って言われて送られてきたのが噛みついてる表紙だったと。

――そんなやり取りしましたね(笑)。

鈴木 僕もね、最初は「なぜだ?」と思いましたけど(苦笑)、でも結果的にあれで良かったと思いますよ。

――いまだに語れますし、フレッド・ブラッシー以来、49年ぶりの噛みつき表紙でした。

鈴木 確かに、それはうれしかったですね。あの時代と現在って時代背景が全然違うわけじゃないですか。そういうなかで噛みつきで表紙になったっていうのもうれしいし、あのブラッシーと同じように扱えるヤツだと思ってもらえたということもうれしいし。この49年間、噛みつき攻撃をした人なんて腐るほどいるでしょうけど、表紙はなかったわけだし、試合のなかで勝つためにやったことに引っ掛かりを覚えてくれたというか。

――というと?

鈴木 サッカーでも野球でも勝つために反則ギリギリのことをすることってある訳じゃないですか。噛みつき自体は反則だけど、プロレスは5カウント以内ならOKというルールがあって、その間は使えるわけで。(勝つために)ギリギリのラインで闘ってきた僕のファイトスタイルを評価してもらったというか。

(ビル)ロビンソンのキャッチ・アズ・キャッチ・キャンだけではないし、猪木さんというか藤田(和之)さんとか(ケンドー)カシンから教わった猪木イズム、そのどっちかだけじゃなくて、その両方を自分でうまく接着できたのは去年とか一昨年だったと思うんですけど、あとから振り返って、あの表紙の時がひとつの転機だったのかなと思いました。あの噛みつきの表紙を見て、あとから自分でいろいろ考えて、そう思いましたね。

――なるほど。

鈴木 やっぱり自分目線だけじゃダメなんですよ。人からどう見られているか。僕らは人に見られるのが商売なので、そのイメージのなかでうまく泳いでいくのが大事というか……これ、面白いですか? 

――なんですか、急に?(苦笑) おもしろいと思いますよ。たまには真面目に語ってもいいじゃないですか。

鈴木 いや、もっと将軍の話をしましょうよ。

――なぜあえて将軍なんですか!(苦笑)

鈴木 食パンの話でもいいですけど。

――水にこだわる高級食パンでもなくて、今回は2000号を迎えた週プロがテーマですから(笑)。とにかく週プロなりメディアに出ることで気付きがあったということですね。

鈴木 そうですね。でも、気付きっていうのも猪木さんに教わったことですし。よく〝気付き〟って言いますけど、なかなか分からないんですよ。でも、トップに立ってる人はいろんなところに気付いてるんだと思います。だからトップに立てるんだと思うし、そういう部分を客観的に見れるのが週刊プロレスに出た記事なんじゃないですか。写真もそうだし、記事でもある記者はこういう見方をするんだ、この人はこういう書き方をするんだとか。

画像: 鈴木にとって初めての表紙になった2018年5月2日1954号。〝銀髪鬼〟フレッド・ブラッシー以来、49年ぶりとなる噛みつきの表紙が一部をザワザワさせた

鈴木にとって初めての表紙になった2018年5月2日1954号。〝銀髪鬼〟フレッド・ブラッシー以来、49年ぶりとなる噛みつきの表紙が一部をザワザワさせた

僕のプライバシーをもうちょっと守ってもらいたい!

――なるほど。その積み重ねで、週プロは2000号を迎えたわけです。

鈴木 そうですね、勝手にプライベート出されたこともありましたけど。なんの許可もなく、人の結婚式を本誌で報じ、モバイルで速報されて。

――一般人である奥様も容赦なく掲載してしまいました。

鈴木 言ったって5年前のことですからね(苦笑)。

――鈴木さんならいいかなと…。

鈴木 昭和のプロ野球選手名鑑には選手の住所とか電話番号がモロに載ってましたし、週プロだって読者投稿した人の住所とか個人情報が書いてありましたよ。でも、もう平成も終わろうかという時代じゃないですか。2000号を機にコンプライアンスをしっかりしてもらいたい。選手…というか僕のプライバシーをもう少し守っていただきたい。住所こそ書いてないけど、もう僕が高円寺に住んでるって週プロ読者及び週プロモバイルのユーザーはみんなわかってるでしょう。

――プライベートまでさらして、週プロに協力してくれてるわけですね!

鈴木 協力というか、勝手にさらされてるんですけどね(苦笑)。

画像: この日初めてあった店員のパンさんと。鈴木は誰が相手でも自分のペースを崩さない

この日初めてあった店員のパンさんと。鈴木は誰が相手でも自分のペースを崩さない

最後まで鈴木秀樹を小バカにしてほしい

――それはさておき2001号、2002号と続いていくであろう週プロに対してエールとかメッセージは何かありませんか?

鈴木 人はいつか死ぬじゃないですか。

――まぁ人ですからね。

鈴木 ここまでやったんだから、死んだときも報じてほしいなと。同じテイストで報じてほしい。

――訃報だからって真面目に書くなと(苦笑)

鈴木 そう。僕が死んだら最後までバカにしてもらいたいなと。

――バカにしてるつもりはないんですが…とにかく亡くなった時もちゃんとイジれと。

鈴木 しめやかにとか、人の涙を誘うような記事は要らない。僕はね、ここまで散々他人のことを小バカにして、ディスって、怒りを買って生きてきてるわけですから。最期も幸せに死ねるわけないと思うんです。

――確かに…い、いや、そんなことないと思いますよ。

鈴木 (無視して)人の揚げ足ばかり取った男の末路をちゃんと最後まで今のスタンスのまま、報じてほしい。年老いて、試合もできなくなってしまったら記事にするのは難しいと思うんです。そしたらね、横の細いところ、むかしプレッシャーとかが載ってたところでいいので、僕の死去を報じてください。「鈴木秀樹(●歳)が無様に死んでいった」と。それだけでいいので、ぜひ報じていただきたいなと。

だからね、松川さん(=記者)には僕より長生きしてほしいんです。もしくは何か不祥事でも起こして退社するとかなったら、ちゃんと後輩に引き継いでもらいたい。鈴木秀樹が死んだらちゃんと小バカにするようにと。それが週プロへのメッセージです。最後になりましたが、2000号おめでとうございます。

画像: 鈴木は口だけでなく、背中でも語れるレスラーなのだ

鈴木は口だけでなく、背中でも語れるレスラーなのだ

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