※写真上=圧倒的な歌唱力で「当地興行」を唄って観衆をしんみりさせるのが、“甚句の真打ち”力士の本領。上り詰めるまで、そして上り詰めてからも、そこにはドラマが満載!
写真:月刊相撲

相撲甚句を向上のモチベーションに

 大相撲の巡業が、この春から(平成24年当時)再開された。相撲界OBとしても、ファンの立場からもこんなにうれしいことはない。

 力士の生活は、東京場所での日常、年に3度の地方場所のほかに、場所後それぞれ1週間の休日、そして巡業があってこそメリハリがつく。

 部屋の稽古だけだと、ついつい同じ相手と同じようなマンネリの稽古になりがちだ。強くなるためには、断然巡業に出て稽古するほうが進歩が早いし、得策なのだ。

 なんとしても巡業に出たいと思った私は、巡業に必要な巡業要員としての仕事に目をつけた。つまり、初っ切りや弓取り式など、巡業の主な出し物(演目)の一つである相撲甚句要員になれば、巡業に出してもらえると、計算した。

 そこで、巡業で相撲甚句の仕切りを担当している若者頭に、「自分も、甚句を唄えます! 巡業に連れて行ってください」とアピールした。

 さいわい、私は相撲界に入る前から相撲甚句を唄っていた。母が大の歌好きで、流行歌のみならず民謡や相撲甚句を、子守唄代わりにしょっちゅう歌っており、その背中で育ったのでそれも当然だった。

 何場所か待って、巡業に出ることができた私の喜びといったらなかった。もちろん一生懸命相撲甚句を唄ったし、嬉々として稽古に打ち込んだ。

 しかし、何にでも上には上がいるもの。甚句の番組が始まって、私の番が来て、今日はいい出来だった、と思っても、場内の数カ所でパチパチと拍手が起きる程度。おしゃべりをしながら、お客さんが弁当を開いて食べている風景は変わらなかった。

 だが、トリに呼出し三郎さんが登場し、「ハアーエー」と、美声を響かせ唄い出すと、お皆さんの手が次々と止まり、場内は急にしーんと静かになって、聞き惚れるのだった。なんという差だろう。自分もいつかこうなりたい、と痛烈に思った。ようし、こうなったら、甚句も一生懸命やって、こっちでも一流になってみせる!と私は決意を新たにしたのだった。

 おかげで、停滞していた私の番付も上昇気流に乗り、数場所後、私も関取になり、自分の力だけで巡業に出られる身分になった。そして余興の甚句でもトリをとり、私が「当地興行も本日限りヨー」と歌い出すと、あの日の三郎さんと同じ現象が客席に起きるようになった。

 力士になった以上は、どんなことでも相撲に結びつけ、絶えず自分の向上心を燃やし、努力をすることが必要なんだ、と改めて感じたものだ。

 その意味で、私の“奇跡の一枚”には、マゲを結った私が、平成14年9月、最後に甚句力士としてのトリを務めた引退相撲の写真を挙げさせていただきたいと思う。

 私は、協会退職後、歌手を志し、鋭意励んでいるが、関取までの道のりはまだまだ遠い。しかし、今もまぶたにこの情景があるからこそ、夢を持って頑張っていられるのである。

 私事になるが、私は、相撲協会のお許しを得て、勢関以下、現在の甚句力士を集めて、CDを出すことになった。正直言って、彼らの唄いっぷりはまだまだ発展途上である。しかし、彼らはみな、甚句は日本の文化という意識も十分に、相撲の稽古にもさらに打ち込むべく闘志を燃やしている。必ずや“本業”でもいい結果を出してくれるに違いない。

語り部=元幕内・大至 大至伸行(歌手)

画像: 写真:月刊相撲

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月刊『相撲』平成24年7月号掲載

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