柔道が初めてオリンピックの正式競技となった1964年東京大会から2016年のリオ五輪まで、“柔道王国”日本は史上最多のメダルを獲得してきた。そして、その長い歴史の中で燦然と輝くのは卓越した技量で他を圧倒し、表彰台の頂点を極めた金メダリストたちだ。ここでは、各階級のレジェンドからリオ大会の大野将平、ベイカー茉秋、田知本遥まで、『日本柔道オリンピック金メダリスト列伝』として1人ずつ紹介。今回は、2000年シドニー大会100kg級・井上康生をクローズアップする。(※文中敬称略)

※写真上=オール一本勝ちで優勝を決め、渾身のガッツポーズを見せる井上
写真/JMPA

2000年シドニー五輪 100kg級
井上康生

◆メダルの数よりも多くのものを
苦闘の時代に手に入れた世界の井上

 井上康生の柔道人生は、前半と後半とで明暗がはっきり分かれている。2005年1月の嘉納治五郎杯国際大会無差別で優勝したときまでが“明”。その大会の決勝(対リュバク=ベラルーシ)で右胸大胸筋腱断裂の重傷を負った以降が“暗”。手術・修復したものの、腱は短くなって可動範囲が狭くなり、得意としていた内股や大外刈りの満足いく崩しや掛けはできなくなった。

 だが、井上はもがきながらも、かつてのキレのある柔道を取り戻そうと努力した。結果として、引退するまでそれはできなかったが、ひたむきに鍛錬を重ねる姿が多くの柔道ファンや関係者の心を掴んだ。現在は全日本男子監督として東京五輪に向かおうとしている。

 井上は小・中・高と、それぞれの段階で全国制覇を達成。いわゆる“麒麟児”だった。東海大相模高時代の恩師・林田和孝は「将来、世界の井上になる。だから、俺の役割はケガをさせないで大学に上げることだ」と語っていたほどだ。

 97年、東海大へ進学するとすぐ学生チャンピオンに。講道館杯100kg級でも優勝した。99年には初の世界選手権代表に。その直前に母を亡くすという悲しみを乗り越えて金メダルを獲得した。そして翌年のシドニー五輪では全5戦一本勝ちで優勝。01年の世界選手権でも圧倒的な強さで金メダリストとなり、04年にかけては世界選手権、選抜、全日本を制覇。日本の柔道界は井上を軸に回転していた。

画像: ※写真上=伝家の宝刀・内股でギル(カナダ)に一本勝ちし、金メダルを手にした井上 写真/JMPA

※写真上=伝家の宝刀・内股でギル(カナダ)に一本勝ちし、金メダルを手にした井上
写真/JMPA

 内股は、普通は“一・二・三”のリズムで投げるが、井上は“一・二”で投げる。右足を踏み込み、左足を継ぐときにその足はすでに投げる方向を向いており、継ぐのと同時に跳ねるのでスピード感がある。決まったときは素晴らしい絵になった。また、崩しの名手でもあった。

 体調不良のため04年のアテネ五輪に敗れた(敗復3回戦)頃から試練の時が迫っていた。05年には前述の重傷を負い、長いリハビリの末に06年の講道館杯から100kg超級に転向。しかし、超級用の内股は最後まで完成を見なかった。07年世界選手権は5位。08年フランス国際も5位。同年の全日本は準々決勝で姿を消した。

 それでも、貪欲に柔道に取り組む井上の姿は多くのファンの胸を打った。ケガさえなければ、もっと多くの実績を積み上げられただろうが、メダルの数よりも多くのものを苦闘の時代に手に入れたはずだ。そうした経験を糧にして今、多くの精強を率いて東京五輪を鋭く見据えている。

文◎木村秀和

Profile いのうえ・こうせい 1978年5月15日生まれ、宮崎県宮崎市出身。東海大相模高-東海大。主な戦績は99、01、03年世界選手権優勝、00年シドニー五輪優勝、01~03年全日本選手権優勝など。現・全日本男子監督。

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