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2021-06-12

井上尚弥戦目前のダスマリナスをLAで直撃!

「相手がイノウエだろうと恐れない!」。ダスマリナスは静かに言い放った

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  WBAスーパー・IBF統一世界バンタム級チャンピオン、井上尚弥(大橋)のアメリカ・ラスベガス第2戦が目前に近づいた。6月19日(日本時間20日)、バージンホテルズ・ラスベガスで行われる戦いに向け、チャンピオンが現地入りした一方で、IBF1位の指名挑戦者マイケル・ダスマリナス(フィリピン)はカリフォルニア州ロサンゼルスで調整中。待望の世界初挑戦で、現役世界最強の一人である“モンスター”井上に挑むことになったフィリピン人は、どんなボクサーなのか。トレーニング状況も含めて話を聞いた。

文&写真_宮田有理子 Text & Photos by Yuriko Miyata


生活の糧を得るために

「コンニチワ」。170cmの長身サウスポーは、くしゃっと笑った。来日経験は豊富で、ラーメンにギョウザ、エダマメ、ヤキニクにヨシノヤが好物だという。初めて日本を訪れたのは2013年。のちの世界3階級制覇者、亀田興毅のスパーリングパートナーとして呼ばれた時だった。翌年にはスーパーフライ級の東洋太平洋ランカーとして遠征し、東京・後楽園ホールでのちの日本バンタム級暫定王者・木村隼人(ワタナベ)に8回判定勝ち。そのあとも、帝里木下(千里馬神戸)、大森将平(ウォズ)、山中慎介(帝拳)、井上拓真(大橋)、岩佐亮佑(セレス)ら、世界チャンピオン、世界ランカーたちのサウスポー対策に一役かってきた。トップ選手のスパーリングパートナーは、タフでなければ務まらない。ダスマリナスがこれだけ何度も請われるのは、頑丈さの証であるのだろう。

2019年10月、“仮想ノルディーヌ・ウバーリ”として、弟・拓真のパートナーを務めた 写真_山口裕朗
2019年10月、“仮想ノルディーヌ・ウバーリ”として、弟・拓真のパートナーを務めた 写真_山口裕朗

「私はボクシングを始めた時から、スパーリングでも試合でも、相手と向き合うのを恐れたことがありません」、28歳のトップコンテンダーは言う。

 世界チャンピオンから常にアウェーで戦う無名まで、あまたの同胞ボクサーとおなじく、拳は生活の糧を得るためにある。11人きょうだい、末の五男坊。元アマチュアボクサーの父、兄の姿を追って、9歳でグローブを握った。すぐさま試合のリングに上がった。そこで客が投げ込む祝儀から割り当てられた50ペソ。いまの日本円で110円ほどの“ファイトマネー”は、13人家族1日分のコメ代になった。「とてもうれしかった。9歳の私にとっては大きなお金だった」

 父は農業と臨時の建築作業とで一家を養い、母は専業主婦。穏やかな家庭でも金銭的な余裕はなく、「家族の助けになりたいと、小さい時から思っていました」。5歳の時、バイクに轢かれそうになったところを母に救われた。大怪我を負った母は長く体調がすぐれなかった。そんな母も父も、やせっぽちの末息子がボクサーとして生きていくことを心配していたという。しかし、息子は腕を磨いていった。アマチュアでの活躍を評価され、奨学金を得て高校に進んだ。卒業後は、「一刻も早くプロになりたいと思った」。


待ちに待った一戦

 2012年1月のデビューから、戦績は33戦30勝(20KO)2敗1分。世界ランカー挑戦、マイナー王座を経て、2017年6月にWBCバンタム級14位に初めてランクイン。2018年4月に経験豊富なカリム・ゲルフィ(フランス)を4回に左でKOしたあと、IBFの上位に浮上した。そして2019年3月、IBF4位として同3位の同胞ケニー・デメシーリョに判定勝ち。IBF次期挑戦権を手に入れた。当時のIBF王者エマヌエル・ロドリゲス(プエルトリコ)が階級最強決定トーナメントWBSSに参戦していた当時。5月の準決勝でIBF王座は井上が吸収し、チャンピオンたちは統一戦線に忙しい。そんな中でダスマリナスが10月にチューンナップを一戦こなした後、世界はコロナ禍に突入。延々と待つ日々は1年を超えた。

「誰もが困難の中にあり、スポンサーからの物品提供も滞って、とても苦しい時間だった。教会にも通えなかった。でも、トレーニングだけは続けてきた。だから、やっとビッグステージが決まりそうだと聞いた時、とても興奮したよ」

 2020年の末。井上挑戦に向けて準備を開始すると、スポンサーからのサポートも再開した。細心の感染対策をとりながら、国内選手たちと実戦練習を重ね、12ラウンド通しのスパーは2度。元IBF世界ライトフライ級王者のトレーナー、タシー・マカロスとともに5月30日にロサンゼルス入りした後も、3人の現地パートナーと6ラウンドを5度。6月11日で、スパーリングを打ち上げた。高い身長、長いリーチ。丹念な位置取りから硬いパンチを繰り出すサウスポーは、重要な戦いを前に、自身のボクシングについて多くは語らない。ただ一言。
「サウスポーであること、長身のサウスポーであることが、自分の武器になります」とだけ言った。

プロ2年目の2013年からコンビを組むマカロス・トレーナー(左)は、元IBF世界ライトフライ級王者。1988年に崔漸煥への2度目の挑戦で戴冠しており、同じく崔をKOして世界を獲得した大橋秀行会長と“因縁”がある。右は、LA在住のフィリピン人トレーナー、シュガー・ルーカス氏。アメリカを訪れる同胞ボクサーの世話役であり、料理係も務める。いずれも当日セコンドに就く
プロ2年目の2013年からコンビを組むマカロス・トレーナー(左)は、元IBF世界ライトフライ級王者。1988年に崔漸煥への2度目の挑戦で戴冠しており、同じく崔をKOして世界を獲得した大橋秀行会長と“因縁”がある。右は、LA在住のフィリピン人トレーナー、シュガー・ルーカス氏。アメリカを訪れる同胞ボクサーの世話役であり、料理係も務める。いずれも当日セコンドに就く

 IBF世界1位とはいえ、名のある強豪との経験は足りないと言わざるを得ない戦歴である。なにしろ挑む相手は井上尚弥。パワー、スピード、すべての要素を精密に操れる全階級世界屈指のビッグネームなのだ。アメリカ初登場、ベールに包まれたままのダスマリナスに対し、絶望的に不利な数字がスポーツブックに表示されるのは、いたしかたない。それでも、そんな超難敵に挑むからこそ、いかに戦うかが評価され、今後のチャンスにつながる可能性はある。

 だが当然、待ち続けたチャレンジャーは、勝利のみを信じている。
「私の相手がイノウエであることは、神に導かれた運命だと思っています。誰もが現役最強のひとりと言われるチャンピオンと戦えるわけではありません。今までとは比較にならないモチベーションで準備してきました。減量もまったく問題ありません。必ずいい戦いをします。この試合が、自分の、家族の、チームの未来を変えるのです。どうしても、勝利をつかみたい」

 今も家族が暮らすルソン島南部にある故郷ピリは、唐辛子の名産地であるとともに、台風の通り道として知られる土地だという。このパンデミックの期間だけで、3度もハリケーンが直撃した。28年の人生で、家や作物が吹き飛ばされる現実を、数え切れないほど経験し、立ち上がってきた。
「私たちは、厳しい環境を生き延びてきました。今回は私が、ハリケーンのようにモンスターに向かっていきます」
 週明けには、決戦の地に入る。
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