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2020-11-02

辰吉寿以輝に挑む男─今村和寛の闘い

勝てば人生が変わる。熱のこもったサンドバッグ打ち

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 4日後の6日、中谷潤人(M.T)の世界王座決定戦が行われる『ダイナミックグローブ』興行のセミファイナル(スーパーバンタム級8回戦)で、あの“浪速のジョー”こと辰吉丈一郎の次男で、日本同級8位の辰吉寿以輝(24歳=大阪帝拳)と対戦することになったサウスポー、今村和寛(28歳=本田フィットネス)。戦績は2戦2勝(1KO)と、プロではまだ駆け出しの選手で、かぎりなく無名に近い存在だが、この試合に“一発逆転”を賭けている。

勘違いはしない。でも、引き立て役では終わらない

 対戦相手の名前を知ったのは、遡ること9ヵ月前の2月。「よっしゃー。キター!!!」と、心が昂ぶると同時に「よく選んでくれたなって感謝の気持ちがあふれてきた」と振り返る。


アマチュアらしからぬ、好戦的なスタイルの持ち主

 昨年3月のB級(6回戦)デビュー戦で、いきなりメインイベンターを務め(相手選手側の興行だったが)、3回TKO勝利。2戦目は、“聖地”後楽園ホールへ颯爽と出向き、臆することなく積極的にグングン前に出る好戦的なスタイルで、最後まで上下左右と旺盛な手数で打ち勝ってみせた(3-0判定勝利)。この上ない“順風”の滑り出しを切ったが、3戦目にして早くも“ビッグマッチ”を迎える。そのうえ、辰吉は、人気、実力、ランキング、一般大衆をも惹きつける知名度と、欲しいもののすべてを持っている。世間的に見れば今村は“引き立て役”にすぎないが、本人や陣営、彼を支える周りの人たちにとってはもちろん違う。

「辰吉戦はビッグチャンス。おいしくないって言ったらウソになる」。

 だが、「たまたま巡り合わせと環境が良くて、周りに盛り上げてもらっているだけであって……。だから、頑張ろうって思うんですよ。という反面、『勘違いすんなよ、オレ』という自分も常にいるんです」と、浮かれる気持ちはない。

「自分を知っている人からすると『あんなヤツがプロでやっても』という感じなんですよ」とも続けた。

大学では補欠の補欠だった

 佐賀県鳥栖市出身。ボクシングとの出会いは小学5年生の時だったが、本格的に始めたのは高校生になってからだ。佐賀学園高校に通いながら、ボクシング部が存在し、県内では有数の結果を残していた鳥栖商業高校で、恩師の森田隆宏先生(当時、同校教員)に鍛えられた。その後、道筋をつけてもらい、名門・日本大学へ進学。アマチュア通算52戦32勝(10KO)20敗の実績をつくったが、その実、「やってやるぞ」と意気込んで入ったものの、大きな挫折を味わい続けてきたという。

関東大学ボクシングリーグ戦で、日大が5連覇を果たし隆盛を誇っていた時期に在籍。が、そのリーグ戦には4年間で1試合しか出たことがない。試合といえば、佐賀県代表として出場した国体がほとんどだった。

「大学で何もできなかった。使ってもらえない。ずっと補欠の補欠。ずっと合宿所では当番、掃除。誰かの2番手。試合に出られない。やっても負ける。4年間ずーっと」。

 焦りと悔しさと失望を抱え、人知れず涙を流しながら、全国のボクシング部で一番キツいといわれる練習についていくのは、本当に辛かった。厳しい練習はもちろんのこと、礼儀・礼節・規律、先輩後輩の上下関係と、すべてにおいてだ。だが、どんなに苦しくても食らいついていって、途中で投げ出すことだけは考えなかった。


厳しいトレーニングも耐える強さがある

  そんな今村のアマキャリアの中に、“2014年長崎国体・ライト級3位”という肩書きがある。大学4年生の秋のことである。

「もう引退するわけだし、4年生で最後の試合。主戦場のバンタム級ではなく2階級上のライト級での参戦だったし、正直負けてもいいじゃないですか。気持ちに余裕ができて肩の力が抜けた状態。それがよかった」。

いざ試合が始まると、パンチも見えるし、手を出せば次々とヒットを奪う。

「このままだと勝つよ、オレ勝っちゃうよ」。

 それは、初めての感覚と体験だった。いい意味で、責任や気負い、プレッシャーから解き放たれ、ニュートラルな状態で向き合ったことで、これまで培ってきた力がようやく形となって現れた瞬間だった。

 「ボクシングはもう、いいや」……。
 国体で味わった初めての感触は大きかったが、だが卒業と同時に引退する気持ちに変化はなかったという。

プロデビュー前に“モンスター”とスパー

 社会人となり、ボクシングから解放され自由を満喫していたはずだったが、その開放感は半年ともたなかった。同郷の先輩、元OPBF東洋太平洋フライ級王者・中山佳祐(ワタナベ)に練習相手を頼まれて、再びグローブを持ちはじめる。同じく同郷で、敬愛する北京オリンピック・ライトウェルター級代表の川内将嗣が帰郷した際は、共に汗を流すという日々。大いに刺激を受けた今村は、約4年のブランクを経てフジタボクシングジム(福岡県福岡市西区、今年5月に閉鎖)の門を叩き、プロの道へと進んだのだった。


昨年10月、後楽園ホールでの勝利後。藤田会長は今村の将来性を嬉々として語ってくれた 写真_本間 暁

 プロのボクシングを教え、勝利へと導いた藤田久満会長(当時)は、「心と体が強い。練習で手を抜くことはない」と今村を評する。

 さらに、「デビュー前だったけれど、ファン・カルロス・パヤノ戦を控えた井上尚弥選手のスパーリングパートナーを務めたんです。福岡に戻ってきたら、すべてにおいて劇的に変わった」と、その豹変ぶりに驚いたという。

 今村本人は井上尚弥とのスパーを、「何もかもが圧倒的。事故に遭うって分かっているのに、そこに飛び込んでいくようなものだった」と振り返る。初日に肋骨を痛めたが、その痛みを押してでも務めあげて得たものは、はかりしれなかった。世界の中でも超一流選手から受けたとてつもない衝撃は、自信を喪失させられるどころか、プロとしてやっていく覚悟を芽生えさせた。「小手先云々ではなく土台、“基本の基本”を鍛えまくれば、この先どこまでも伸びることができるんだ」と開眼した。

 昨年6月にもロンドン五輪銅メダリストで、OPBFフェザー級王者・清水聡(大橋)のスパーリングパートナーを務める機会を得て大いなる刺激を受け、その感覚を大切に日々の練習に取り組んできた。そんな今村を“最後の愛弟子”として、しっかり育てあげようと、藤田さんは想いを馳せていたのだが……。

 惜しむらくは、コロナ禍の煽りを受けた影響もあり、苦渋の選択の末にジムをたたむこととなり、いまでは今村を指導できなくなったことだ。

 しかし「勝つつもりで組んだ」という、今回の辰吉戦は、同会長の“ボクシング愛と魂”のこもった大切な置き土産である。

 かつての教え子、坂本英生(元日本バンタム級ランカー/2018年引退)に、重ね合わせる思いがあったのかもしれない。一地方ジムのノーランカーが後楽園ホールに乗り込み、遥かに格上、著名選手と戦う構図。そして坂本は、元OPBFバンタム級王者で世界ランカーだった椎野大輝(三迫/現・同ジムトレーナー)に5回TKO勝利(2014年10月)。ものの見事なカウンターを決め、日本ランクを奪い取った“一世一代の大仕事”だった。

「今村くんは楽しみな選手。いけると思いますよ。しっかり育てます」と、今村がデビュー戦で勝利した直後に、藤田会長(当時)が笑顔で語る姿が、今でも取材者の脳裏には浮かんでくる。

 延期につぐ延期によって、試合を組んだものの、自らの手でリングに送り出せなかった無念はあるだろう。しかし「素直で上昇志向があるから、彼だったらやってくれると思っています」と、藤田さんはエールを贈る。

どんなに泥臭くてもいい。勝ちたい

 藤田さんの勧めにより、今村は所属先を熊本県の名門、本田フィットネスジムに移す。彼を迎え入れた本田憲哉会長は「藤田会長の意志を継いで、しっかりやらせますよ」と張り切っている。そして、今村と初めて出会った日の記憶を語ってくれた。

「2年くらい前ですかね。所属選手たちをフジタジムに連れていったら、ことごとくやられて。ウチんとはアホみたいやった。『エライ強いとがおる』と嘆きながら帰ったんですよ」。ちょうどその時が、井上尚弥に衝撃を受け、俄然張り切っていた時期だった。

「そんな今村くんが、うちの所属になるなんて思いもよらなかった。でも、よかった。あの気持ちでいくなら、この試合勝てますよ」。

 さらに、今村がここに至るまでの道のりを知った同会長は、「これからの人生のために頑張らないと。勝つと、変わってきますよ」と語りかけた。その言葉は、きっと今村の気持ちを奮い立たせているに違いない。


福原さんの持つミットへ打ち込む

 当日は、同ジムから世界チャンピオンになったジムの大先輩で、元WBO世界ミニマム級王者の福原辰弥さんもセコンドに就く。今村と同じくサウスポーだった福原さんがスパーリングでは随時アドバイスを送り、ミットを持って指導してくれている。

「佐賀県という地方出身で、アマエリートでなくてもできるんだ、ということを示したい。だからこそ、福原さんの存在は大きい。学びたいことがたくさんある」と、新たな環境に今村の士気も高まっている。


同じサウスポーだからこそ、学ぶべきことは多い
 
 高校時代にイロハを学び、屈辱を味わいながらも、徹底的に基礎を叩き込まれた大学時代。ブランク中に知ったボクシングの楽しさ。プロの厳しさを教わったフジタジム時代、そして今──。

「この段階を踏んできたからこそ、今の自分がある。どれも抜けていては成り立っていない。何よりも、大学時代の挫折は、今、本当に役立っています。ありがたかったです」と切々と語る。

 人懐っこい笑顔を常に絶やさず、決して闘志を露わにすることはない。が、腹を括って大物食いをする“野心”は隠さなかった。

「正直言って、自分は負けても当たり前。でも、自分には自分の道がある。勝つことが大事なテーマ。勝つことに貪欲になる。どんなに泥臭くても、勝つことだけしか思っていません」


 本田会長(右)、福原トレーナーと。このタッグでアップセットを狙う

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文&写真_西村華江

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