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2020-11-10

【鳥取】フェルナンジーニョが引退会見「人々を助けるという第2の人生を」

今季限りでの現役引退を発表しているガイナーレ鳥取のFWフェルナンジーニョが、11月10日に会見を行なった。引退を決めた経緯やセカンドキャリアの展望、鳥取での思い出などについて語っている。

上写真=受注販売が始まった引退記念Tシャツのボードを持って、鳥取の塚野真樹・代表取締役社長と笑顔を見せるフェルナンジーニョ(写真◎石倉利英)

引退記念Tシャツの販売も決定

 母国ブラジルのサンカエターノから2004年にガンバ大阪に加入したフェルナンジーニョは、翌05年にガンバ大阪のJリーグ初優勝に貢献し、同年のJリーグベストイレブンにも選出。その後は清水エスパルス、京都サンガF.C.、大分トリニータ、ベガルタ仙台、ヴァンフォーレ甲府にも在籍し、それぞれのクラブで活躍した。

 14年に日本で7クラブ目となるガイナーレ鳥取に加入し、17年のブラジル復帰を挟んで、自身過去最長となる計6シーズン在籍。1981年1月13日生まれで、39歳となった今季も健在ぶりを示していたが、10月22日に今季限りでの現役引退を発表した。第26節終了時点のJリーグ通算成績は、J1が184試合出場・47得点、J2が17試合出場・1得点、J3が123試合出場・37得点。

 引退を決意した理由についてフェルナンジーニョは「新型コロナウイルスの影響がある中で、いろいろなことを考えさせられた。その中で神様からのメッセージもあり、人々を助けるという第2の人生を歩むべきだと強く感じた」とコメント。主にブラジルで、ドラッグやアルコールの問題を抱えている人など「困っている人たちの助けになりたい」との思いが強まったことを挙げた。

 プレー面は「体力やフィジカル、テクニックについては、J1でもやれる自信がある」と語り、衰えを感じたことが理由ではないという。子どもたち向けのサッカースクールを開設して「日本で学んだ敬意の大切さなどを教えたい」と明かしたものの、具体的な活動内容はこれから決めていくとし、「多くの人の支えがあって、ここまで来ることができた。自分が学んだことを、できるだけ多くの人に教えたい。支えられる立場から、支える立場になれたら」とビジョンを示した。
 
 家族に引退の決意を告げた際、アナ夫人は理解を示してくれたが、息子のサムエルくんは引退の意味が分かっていない様子だったという。ただその後、サムエルくんは「それまで、あまりボールに触るようなことはしなかったけれど、引退を告げた翌日から、ガイナーレの試合のハイライト映像を見たり、ボールを蹴ったりするようになった」と変化が見られるそうで、「それを見たとき、父としてもサッカー選手としても、自分の時代ではなく、息子に譲るときが来たのかな、と感じた」と笑顔を浮かべた。
 
 サムエルくんは練習拠点の鳥取県米子市で誕生しており、フェルナンジーニョ夫妻にとっては待望の第1子。そんなこともあり、鳥取の地への思いを聞かれると「本当に住みやすい。サムエルを授かったことは奇跡で、生まれた場所が米子市なので、自分の人生の中で一番思い出深い街」と感慨深げに語った。

 フェルナンジーニョにとってキャリアのラストスパートは、鳥取にとってはJ2昇格争いの大事な局面となる。前節終了時点で昇格圏内の2位とは勝ち点5差の6位で、残りは8試合。上位5チームとの直接対決がすべて残っていることもあり、フェルナンジーニョは「今年は大きなチャンス。残りの試合で結果を出して、J2に昇格した年にチームにいることができれば、とてもうれしい。それが現在のモチベーション」と言葉に力を込めた。

 なおクラブでは、引退記念Tシャツの受注販売の受付を始めた(11月29日〈日〉23時59分まで)。フェルナンジーニョのプレーのシルエットや、過去にプレーした7クラブのデザインなどがデザインされており、売り上げから製作費を差し引いた額は、フェルナンジーニョに贈呈されることになっている。

https://www.gainare.co.jp/news/detail/41770/

取材・写真◎石倉利英

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