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2020-12-04

【連載 名力士ライバル列伝】ライバル、若嶋津―北天佑 

昭和59年春場所13日目、1敗で逃げる若嶋津と2敗で追う北天佑のライバル同士の対決は、1分19秒7の激闘を制した若嶋津に軍配。宿敵を破りこの後も連勝、初めての優勝を飾った

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大関不在の昭和56年秋場所後に先陣を切って琴風が昇進すると58年に若嶋津、朝潮、北天佑と続き、約2年も続いた4大関時代。横綱北の湖から、横綱千代の富士の最強時代への移行期に本場所を盛り上げ、賜盃を手にしていった4人の名大関たちのライバル対決を振り返る。
※平成28~30年発行『名力士風雲録』連載「ライバル列伝」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

互いに強烈に意識した「黒ヒョウ」と「白クマ」
 
昭和57(1982)年九州場所後、若嶋津(当時若島津)の大関昇進を受け、虎視眈々と次の大関の座を狙う一人の力士がいた。早くから大物と期待されていた北天佑だ。

若嶋津を意識し、追いつき追い越すことを目標にしていた北天佑は、翌58年初場所からの目標を大関昇進に定めた。若嶋津自身は、入門から引退までライバルはあくまで「同門の太寿山だ」と語っていたが、北天佑との因縁は幕下時代に端を発していた。初めての対戦は53年名古屋場所、ホープ中のホープと言われる北天佑が、1年兄弟子の若嶋津(当時日高)を打ち倒した。

素質は十二分な上、二人は環境にも恵まれていた。若嶋津は兄弟子の横綱若乃花、隆の里の胸を借り、北天佑は兄弟子の横綱北の湖の胸を借りて強くなった。

十両時代は若嶋津が3連勝。昭和55年夏場所には優勝決定戦も制したが、入幕は北天佑が1場所早い。幕内でも二人は互角の勝負を繰り広げた。北天佑が土俵外のアクシデントで番付を下げると、急追してきた若嶋津が一気に抜き去り大関に昇進。

「オレも負けられない。若嶋津関に負けたくないと思って頑張った」

北天佑は昭和58年夏場所、初賜盃と大関を手中にし、年頭の目標を派手に達成した。若嶋津も刺激され「次はオレも」と59年春、大関8場所目にして初優勝を果たした。幕下時代から大関時代まで互いに意識し続けた二人。容貌と実力を兼ね備えた「黒ヒョウ」と「白クマ」の激突は、昭和末期の4大関時代の華であり続けた。

『名力士風雲録』第9号琴風 朝潮 若嶋津 北天佑掲載

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