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2021-01-16

【実業団駅伝】筑波大卒1年目、金丸逸樹(戸上電機製作所)がエース区間で見せた成長の証し

自身のペースで走り続け、11人抜きを果たした金丸 写真/長岡洋幸(陸上競技マガジン)

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今年のニューイヤー駅伝、エース区間の4区で11人抜きの好走を見せたルーキーがいた。筑波大出身の金丸逸樹(戸上電機製作所)。1年前の箱根駅伝での悔しさを晴らす好走だった。

1年前の箱根の反省生かし
エース区間で11人抜き

 大卒ルーキーに有望選手が多数いた今年のニューイヤー駅伝(全日本実業団駅伝)だったが、最長区間の4区(22.4km)でルーキー最上位を占めたのは、ノーマークの金丸逸樹(戸上電機製作所)だった。同区では14人抜きで区間賞を獲得した34歳の佐藤悠基(SGホールディングスグループ)に注目が集まったが、金丸も1時間05分05秒で区間9位。32番手でタスキを受けてからの11人抜きは「攻めたレースをした結果」だった。

「2分57秒(1km)ペースで走りきれば1時間06分05秒になります。チームの目標が29位以内だったので(最終結果は32位)、自分も区間29位以内なら合格点だと思っていました。しかし少し前にいた集団に追い付いて最初の1kmを2分45秒で入ったら、そのペースが楽に感じられたんです。予定より速いペースで押し切れる。結果的に2分54秒3のペースになりましたが、挑戦してみました」

 前にいる選手(集団)を追い上げ、追い付いたら少し並走した後に引き離す、という走り方ではなかった。「(抜くときも)一定のペースで淡々と走り続けた」ことが、11人抜きという結果になった。

 それだけ良い状態でニューイヤー駅伝に臨めていたことが好走の要因だが、1年前の悔しさがその背景にあった。1年目の箱根駅伝、金丸は26年ぶりの本戦復帰を果たした筑波大のエースとして注目されるなか、個人成績は各校のエースが集う2区で区間19位(1時間09分24秒)。予選会ではチームトップの13位と好走したが、本戦では全く力を発揮できなかった。


自身の力を発揮できなかった1年前の箱根駅伝は2区区間19位。その反省を生かし、今年のニューイヤー駅伝の走りにつなげた 写真/黒崎雅久(陸上競技マガジン)

「設定を1時間09分30秒にしたのがよくありませんでした。走り始めて余裕があったのに、そのペースを守ってしまったんです。走り終わってもう少し力を出せたと感じました。不完全燃焼でしたね」

 その反省が1年後のニューイヤー駅伝に生かされたことになる。

実業団入り決心は
大学4年時の夏


 金丸は長崎県・諫早高出身。5000mの自己記録は14分44秒96で全国レベルとはいえなかったが、同校の藤永佳子先生が自身の母校でもある筑波大に送り出した。藤永先生は諫早高校3年時の99年世界選手権5000mに出場し、同種目の高校記録を持つ。実業団でも活躍し、資生堂在籍時の09年には名古屋ウィメンズマラソンに優勝し、同年の世界選手権にも出場(14位)した。筑波大の弘山勉駅伝監督は、藤永先生の資生堂時代の指導者である。

 筑波大は箱根駅伝第1回大会優勝の古豪だが、1994年(第70回大会)を最後に遠ざかっていた本戦出場へ向け、2011年に『箱根駅伝復活プロジェクト』を創設。15年にはOBでもある弘山監督を迎え入れ、年々、本戦復帰の気運が盛り上がっていた。金丸も「箱根駅伝に出るつもり」で17年春に入学した。

 だが、しばらくは故障に悩まされた。1年時の箱根駅伝予選会は直前に座骨を痛め122位、2年時はその故障が半年ほど尾を引き、予選会も228位と低迷した。3年時に初めてシーズンを通した練習が継続できて予選会は89位。「そのときの力は出し切れた」が、10000mは3年終了時に29分58秒14しか出していなかった。「実業団で走るレベルではありません。競技はあきらめようかな」と思っていた。

 しかし弘山監督は金丸の潜在能力を高く評価し、4年時の夏に卒業後も競技を継続したらどうかと背中を押した。戸上電機製作所は佐賀県が拠点で、長崎の実家からも近い。実業団で走り続けることを決めると、練習のレベルが自然と上がるケースはよく耳にする。金丸もそのケースだったようだ。

 19年10月の予選会は13位(1時間03分53秒)でチームトップ、11月には10000mで29分20秒57と自己記録を37秒57も更新した。本戦2区ではシード権争いをする大学のエースと、互角以上の走りをするのではないか。弘山監督はそう期待していた。

 だが前述のように設定タイムにこだわってしまい、シューズの進歩と気象的な好条件で好記録が続出する展開に対応できず、課題を実業団に残して筑波を巣立った。

「うっすら見えてきた」今後の目標

 おそらく大学時代の金丸も、きっかけさえあればもっとタイムを出せていたのかもしれない。弘山監督が指導した夫人の弘山晴美は1500mと5000mで日本記録を更新し、5000m、10000m、マラソンの3種目において、世界選手権で入賞を果たした。スピードをベースにした選手の育成スタイルには定評がある。

 ニューイヤー駅伝の走りができた理由を、金丸は次のように自己分析した。

「筑波大時代に弘山監督のメニューで速いスピードを出す能力を培って、結果は残せませんでしたが箱根駅伝で大舞台を経験し、心身とも成長の余地を残して戸上電機に送り出してもらいました。持っているエンジンを、実戦で使えるようにする練習に1年間取り組んで、22kmを今回のスピードで走り切れたのだと思います」

 1年半前までは、実業団で給与をもらって走り続けることなど考えていなかった選手が、ニューイヤー駅伝のエース区間で9番目のタイムで走り切ったのである。

「入社するときはニューイヤー駅伝に出られたら満足できると思っていました。加えて、5000mの13分台と10000mの28分台はまだ出せていませんが、その2つが出せればいいかな、と。でも今回の駅伝の結果で、実業団ハーフマラソンの入賞だったり、何かのマラソンでの入賞だったり、いずれは狙ってみたいと思えるようになりました。そういった走りが、うっすらですが見えてきました」

 同学年には10000m日本記録保持者の相澤晃(旭化成/東洋大出身)や歴代2位の伊藤達彦(Honda/東京国際大出身)、昨年の福岡国際マラソン優勝の吉田祐也(GMOインターネットグループ/青山学院大出身)らがいる。ニューイヤー駅伝でも青木涼真(Honda/法政大出身)が5区区間2位、青木祐人(トヨタ自動車/国学院大出身)が6区区間2位、浦野雄平(富士通/国学院大出身)が7区区間賞と快走した。彼らとの差はまだ大きく、金丸自身も「まだ世代を引っ張る力はない」と認識している。

 だが、「戸上電機に金丸という選手がいると、覚えてもらえるようになりたい」と言えるところまでは成長できた。弘山監督仕込みのスピードがしっかり根付いていれば、金丸がどの種目で結果を出しても驚くことではない。

文/寺田辰朗

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