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2021-02-04

【プロレス】丸藤正道がのど打撲、KENTA大流血…あわや大惨事 2006年10月、NOAH武道館

KENTAが丸藤正道を花道から場外へジャーマンで投げたが、着地された

丸藤正道、KENTAが世代や階級を超越した激闘を繰り広げ、新たな時代の幕開けを感じさせた。そこには三沢光晴、小橋建太、秋山準ら先輩たちが築き上げてきた伝統を引き継ぐ覚悟が見えた。

 2006年10月29日、NOAH武道館大会で史上初となるジュニア同士によるGHCヘビー級選手権がおこなわれた。王者は同年9月に秋山準に勝って、26歳でGHCヘビー級王者となった丸藤正道。挑戦者は丸藤の1歳後輩のKENTA。2人は2003年から“イケメンタッグ”を結成し、GHCジュニアタッグ王者として、三沢光晴、小橋建太、秋山準らのヘビー級に負けない人気を誇ってきた。

 同年1月のGHCジュニア選手権では好勝負の末にKENTAが初めて丸藤超えに成功。その丸藤がGHCヘビー級王者となり、新時代の到来を予感させた。2人が再び雌雄を決するのは必然だったことは言うまでもない。

 丸藤は「オレが意識したのはアイツが大嫌いな丸め込みを使わないこと」という戦前の宣言通りに真っ向勝負一択。華やかさをかなぐり捨てて、ストライカーのKENTAにエルボー、張り手、キックで対抗していく。

 その覚悟を感じさせたのが15分過ぎに放った鉄柵越えのラ・ケブラーダである。捨て身の一撃で丸藤は鉄柵にノドを強打して「のど打撲」というあり得ない重傷を負う。KENTAも丸藤の足が顔面に直撃して、大流血…。

 試合中盤にあわや大惨事という事態。しかし、丸藤とKENTAは三沢、小橋、秋山らが築いてきた伝統を受け継いでいた。ファンの期待に応えるためには身を削る覚悟はできていたのである。

 互いに大ダメージを負いながらも気力で闘いを続け、丸藤は花道から場外への投げっぱなしジャーマンをなんと軽やかな身のこなしで着地。さらに、現在ではプロレス界の“常識”にもなっている時間差ロープワークを初披露する。

 KENTAも奈落式不知火を踏ん張ると場外へのファルコンアローを敢行。雪崩式のタイガー・スープレックスからハイキック3連発、go2sleepという大技ラッシュも決めた。両者はNOAHに継承されている四天王プロレスにジュニアのスピードを加え、これ以後、業界のスタンダードになっていく新しいスタイルを紡いだ。

 最後は後日、ポールシフトと命名されたリストクラッチ式フィッシャーマンズ・ドライバーで丸藤が勝利。試合後、「小さいなんて関係ない。オレたちがNOAHのトップだ」と言い切った。

 小橋という大黒柱が腎臓ガンで欠場する中、丸藤とKENTAという若い2人が世代や階級を超越した激闘を繰り広げ、同年の「プロレス大賞」ベストバウトを受賞。プロレスは体の大きさだけではない。この一戦以降、日本プロレス界のヘビー級戦線は事実上の無差別級になっていくことになる。試合後、三沢はこんなことを語っていた。

「オレにはあの試合はできない。何も言うことはない」
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