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2021-04-08

大関照ノ富士の幼少期を母が語る【BBMフォトギャラリー51】

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2021年3月15日 3月場所2日目=両国国技館 土俵上で気合の入った表情を見せる。

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平成27年、当時新大関として注目を集めていた照ノ富士の幼少期を、母・オユンエルデネさんが語っている。本誌『相撲』7月号掲載のインタビュー記事を、優勝を果たした3月場所の写真と共に紹介する。(文・写真/橋田 ダワー)


勉強は数学が得意で何でもこなす子でした

私たちの住むダルハン市オロホン郡は青果栽培が盛んです。首都ウランバートル市から北に220キロメートル離れたダルハン市には、国内初の果物、野菜を加工する工場ができ、それは私の専門でしたので、その工場に就職しました。そこで主人と出会い、息子を22歳で産みました。バター(照ノ富士を家族はこう呼んでいます)は3人いる子供の真ん中です。1人だけ男の子です。1991年11月29日、ダルハン市第一病院で生まれました。4200グラムでした。

 父親の名前から「ガン」、私の名前から「エルデネ」をとって、亡き母が「ガンエルデネ」と名付けました。愛称は「バター」。仲間からは「ガナー」と呼ばれています。「ガン」はモンゴル語で「鉄」、「エルデネ」は「宝」という意味。母は男の子なので鉄のように強く、宝のように輝かしい人物になってほしいと願い、この名を付けたそうです。

 赤ん坊のころ、風邪などで入退院を繰り返す時期があり、心配でお坊さんに聞きに行きました。すると、両親の名からとった名前が今は彼には荷が重い、改名して家族は「バター」と呼びなさいと言われました。モンゴルでは赤ん坊が無事に成長するよう、改名することは、よくあります。そのときから家族はみんな息子をバターと呼ぶようになったんです。「頑丈」とか「揺るがない」という意味の言葉ですから、それからは本当に元気にすくすく育ちました。大きな病気はしたことがありません。3歳年上の姉さんよりバターの方が体は大きくなりました。


2021年3月28日=千秋楽国技館 Nikon D5 24-70mmf4 1/800 iso 2500 千秋楽負ければ優勝決定巴戦となる照ノ富士だったが、貴景勝を押し出してすんなり優勝決定。


 成長するとともに体重が増え続け、何か悪い原因で太っているのではと心配になり、病院で検査しました。結果は異状なしで安心しました。6歳のときにつまずき、鎖骨を骨折。そのときはさすがに体重が減りましたが、同年齢の子供たちより体は大きかったです。3歳を過ぎてから幼稚園に預けました。たまに長女を迎えに行かせると、先生方は「妹が兄を迎えに来た」とからかったそうです。

 ゲル(モンゴルの移動式住居)に住んでいた時は、水汲みや薪の用意など手伝ってくれました。やる気を出させるために、短期間でしたが「家事手伝い日記」を用意し、点数をつけていました。やかんなどアルミ製の器を一生懸命に磨き、「ピカピカになったよ!」と猛アピールし、かわいかった。たぶん点数で姉に負けたくなかったからだと思います。



2021年3月28日=両国国技館 Nikon D5 24-70mmf4 1/800 iso 2500  千秋楽優勝決めた関脇照ノ富士が金賞金受け取る。


幼い頃から負けず嫌いな子でした。性格的には多少頑固な面もありますが、優しい子です。あんまり緊張したり、照れたりすることはありません。勉強はよくできる方で、数学が得意でした。地区の数学の大会でも学校から選ばれました。歌うのが上手だし、演技もうまかった。総合的に何でもこなす子でした。ボール遊びが好きで、チェスもよくやっていました。



2021年3月28日=両国国技館 Nikon D4 70-200mmf2.8 1/320 iso 1000 千秋楽恒例の土俵下優勝力士インタビュー。


モンゴル料理ではボーズ(肉まん)や、ちょっと焦げたツォーワン(焼きうどん)が大好きです。バターが6歳の頃、長女と2人で留守番をさせて、主人とダンスに行き、夜遅く帰宅したことがあります。娘とバターがボーズを作って、待ち切れずに眠ってしまっていました。ボーズはすべてが手作りです。塩が足りず、蒸し器の中に置いたままでしたから皮がのびてしまっていましたが、とっても嬉しかったのを覚えています。思わず息子を抱きしめました。

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