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2021-04-09

【連載 名力士ライバル列伝】最大のライバル 朝青龍―白鵬後編

「サッカー問題」による謹慎処分から復帰した平成20年初場所、横綱相星決戦で朝青龍が白鵬に敗れ3連覇を許すも翌春場所千秋楽、2場所連続の相星決戦では小手投げで雪辱。4場所ぶりに賜盃を奪回し涙を流した

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モンゴル出身力士初の日下開山。
天皇賜盃は北の湖、貴乃花など過去の大横綱を超える25回を超え、
史上初の7連覇、年6場所完全制覇達成など平成10年代の大相撲界を席巻した朝青龍。
平成16年以降は、歴代1位21場所にわたる一人横綱として君臨した。
その全盛期に待ったをかけたのも、白鵬、日馬富士らのモンゴル勢だった――
※平成28~30年発行『名力士風雲録』連載「ライバル列伝」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

彗星のごとく現れた“白き狼”

朝青龍と白鵬、二人の初対決は平成16(2004)年まで遡る。同年九州場所11日目、全勝の横綱朝青龍を送り出した平幕の白鵬は、1敗で優勝争いのトップに並んだ。最後は朝青龍が実力差を見せつけV9を遂げたが、“未来の横綱”を予見させる活躍ぶりだった。

翌平成17年は全盛期に突入した朝青龍が本割で5連勝と白鵬を寄せ付けなかったが、白鵬が大関取りを懸けた18年に入ると形勢が変わる。春場所11日目、右からの上手出し投げ一発で朝青龍を土俵に這わせ、大関昇進を確実にしたのだ。千秋楽は、史上初モンゴル勢同士の優勝決定戦となり、本割で完敗した朝青龍が王者の意地を見せ、右下手投げで投げ捨てた。しかし、

「いいライバルが誕生した。これからは“二人で”思い切っていきたいと思います」

と、朝青龍はその力を認めた。

独走を続けてきた朝青龍最大の対抗馬に名乗りをあげた白鵬だが、賜盃を手にしなければ「青白時代」の夜は本格的に明けない。白鵬は、新大関の平成18年夏場所、途中休場した朝青龍の穴を埋め、決定戦では雅山を寄り切り、初の賜盃を抱いた。

翌名古屋場所は、双葉山、照國と並ぶ大関2場所通過での綱取りに挑んだ白鵬。中盤までに2敗し、朝青龍に優勝を奪われたが、千秋楽「朝青龍に勝てば昇進も」のムードが盛り上がり、渾身の寄りで全勝横綱に土を付けた。しかし、結論は無情の綱見送り。その後、足踏みはあったが、平成19年春、夏とついに連覇を果たした。春場所の賜盃を白鵬に譲り、「来場所は壁になる」と後輩の綱取りに立ちはだかることを誓った朝青龍だったが、夏場所も千秋楽で白鵬の左上手出し投げに崩れた。

「横綱に勝って横綱になりたかった」

最強横綱を倒した白鵬は第69代横綱に推挙され、長かった朝青龍独走時代はようやく終わりを迎えた。白鵬の優勝回数が一気に増え、平成20年に入ると両横綱が並び立った「青白時代」に代わって「白鵬時代」と呼び称されるようになったが、なおも朝青龍は抗った。

朝青龍が進退を懸けて臨んだ平成21年初場所。本割で白鵬に敗れるも決定戦では万全の体勢から寄り切り、奇跡の復活Vを遂げる。3場所あけた秋場所も制し、政権交代を阻止し続けた。

しかし、平成22年初場所後の、突然の引退。いきなり一人横綱となった白鵬は、翌春場所に全勝優勝し、立派に責務を果たしていく。朝青龍と白鵬。互いのピークは重なり合っていなかったが、他の力士に圧倒的な力の差を見せつけ、短いながらも激しく競り合った「青」と「白」の激突は、角界の歴史を変えた記録にも記憶にも残っている。

『名力士風雲録』第15号朝青龍掲載

【表】朝青龍―白鵬対戦表

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