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2021-05-04

【泣き笑いどすこい劇場】第1回「ゲン担ぎ」その2

千賀ノ浦親方(左)と新十両・舛ノ山が縁起のいい部屋の前で記念撮影

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力士にとって、直径4メートル55センチの土俵は晴れの舞台。汗と泥と涙にまみれて培った力を目いっぱいぶつけて勝ち名乗りを受け、真の男になりたい、とみんな願っています。とはいえ、勝つ者あれば、負ける者あり、してやった者あれば、してやられた者あり、なかなか思うようにいかないのが勝負の世界の常。真剣であればあるほど、思いがけない逸話、ニヤリとしたくなる失敗談、悲喜劇はつきものです。そんな土俵の周りに転がっているエピソードを拾い集めました。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載していた「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。第1回から、毎週火曜日に公開します。

ケガなく良かった!

ダジャレもリッパなゲン担ぎの対象になる。

平成16(2004)年12月7日、この年の秋場所後に春日野部屋から分家独立した千賀ノ浦親方(元関脇舛田山)は、東京・台東区内の旧高砂部屋を購入して新しく「千賀ノ浦部屋」の看板を掲げた。内弟子は4人。看板の字は75歳の実父、実さんが筆をとった。54歳という部屋持ち親方としては遅いスタートだったが、千賀ノ浦親方は意気軒高で、こう言って胸を張った。

「ここはゲンのいい部屋なんだよ。部屋を建てた先代の高砂親方(元小結富士錦)、一時間借りしていた錦戸親方(元関脇水戸泉)、それと自分と、師匠はみんな(頭の)毛が薄い。だから、この部屋では、どんなに猛稽古してもケガが少ないんだ。停年までの手持ちの時間は少ないけど、必ずいい関取を育ててみせるよ」

錦戸親方はこの当時、引退相撲の準備や部屋の立ち上げ、建設などの心労が重なって円形脱毛症にかかり、開き直ってクリクリのスキンヘッドにした。先代高砂、千賀ノ浦親方は現役時代から影が薄く、小さなチョンマゲで有名だった。

この決意どおり、部屋を興して丸6年の平成22年秋場所後、まだ19歳の舛ノ山がたいしたケガもなく成長し、みごと十両に昇進を決めた。(続く)

月刊『相撲』平成22年11月号掲載

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