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2021-06-12

“未知の強豪外国人”クラッシャー・バンバン・ビガロ、来日前に明かされた限られた情報 1987年1月【週刊プロレス】

クラッシャー・バンバン・ビガロ

 過去のプロレス界ではまったく無名の外国人選手が来日前にインパクトある写真と限られた情報によってファンの幻想をかき立てていた。1987年1月シリーズ開幕前、新日本プロレスは2月5日の両国国技館大会でクラッシャー・バンバン・ビガロがアントニオ猪木に挑戦することを発表。前例のない抜てきだった。

 ビガロは190cm、150kgの巨漢。当時の記事によると「キングコング・バンディに似ている。体型がそっくり。違うのは頭部に入れ墨をしているところだ」という外見。ロープの上を自由に歩き回り、ドロップキックを軽々とこなし、ビガロを見てきた若松市政は「バンディなんか目じゃない」とうそぶく。

 若松は新外国人獲得のために独自に渡米。「モンスター・ファクトリー」なる“モンスターの穴”を発見して契約を結んだ。

 この「モンスター・ファクトリー」を動かしているのが大物ラリー・シャープ。猪木がニューヨークに遠征した際にショア・スタジアムで闘った強豪だ。

 当時、体力的に下り坂だった猪木にとって、ビガロの巨体は脅威。若松はラリー・シャープを通じて、ビガロに猪木の凄さや弱点をいやというほど伝えているという。

 現在ではインターネットの発達によって誰でも簡単に気になる情報を得られる時代だが、当時はTV、新聞、雑誌が貴重な情報源。ビガロのような“未知の強豪外国人”に幻想を抱いて楽しむというのも、プロレスを見る上での醍醐味だった。

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