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2021-06-22

長州力が全日本プロレス開幕戦を謎の欠場…同日、マサ斎藤がアントニオ猪木に対戦要求! 1987年2月20日【週刊プロレス】

1987年の長州力

 1987年2月20日、プロレス界に激震が走った。

 全日本プロレス「エキサイトシリーズ」開幕戦の後楽園大会をジャパンプロレスの長州力が「風邪による発熱と下痢」のため欠場。翌日の全日本沼津大会に出場することも付け加えられた。当時は新日本の藤波辰巳が長州戦をアピールしており、新日本プロレスとジャパンの団体交流戦が大きくクローズアップされていた。

 同日、アントニオ猪木44歳の誕生日に中野サンプラザホールにておこなわれた猪木信者のミュージシャンによる「突然卍がためLIVE」にジャパンプロレスのマサ斎藤が現れ、猪木に対戦を要求。猪木も迎え撃つことを宣言した。

 翌21日、新日本は3・26大阪城大会における猪木vs斎藤を発表。全日本沼津大会にも長州は姿を見せなかった。ジャイアント馬場は「内輪もめがあったかどうかは、オレが関知するところじゃない。病気って発表されたんだから、とやかくは言えない」と語り、猪木vs斎藤問題については「1日だけ出場は許可した。本人からの要望があって…」と説明した。

 同月23日に新日本の新シリーズが伊勢崎大会より開幕。長州はそこにも姿を見せなかったが、伊勢崎からわずか30㎞の伊香保温泉にいた。

 長州の雲隠れは何を意味するのか。プロレス界が激しく動き始めようとしていた。

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