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2021-07-27

【泣き笑いどすこい劇場】第2回「師匠の悲喜劇」その3

弟子の言葉にほろりとくる間垣親方。この1年後にまさかの悲劇が待っていた

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力士にとって、直径4メートル55センチの土俵は晴れの舞台。汗と泥と涙にまみれて培った力を目いっぱいぶつけて勝ち名乗りを受け、真の男になりたい、とみんな願っています。とはいえ、勝つ者あれば、負ける者あり、してやった者あれば、してやられた者あり、なかなか思うようにいかないのが勝負の世界の常。真剣であればあるほど、思いがけない逸話、ニヤリとしたくなる失敗談、悲喜劇はつきものです。そんな土俵の周りに転がっているエピソードを拾い集めました。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載していた「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。第1回から、毎週火曜日に公開します。

間垣親方の悲運

平成19(2007)年九州場所、ロシア出身の若ノ鵬が所要16場所、19歳の若さで入幕を果たした。この年の春場所の最中、この場所の担当部長を務めていた師匠の間垣親方(元横綱2代若乃花)は脳内出血で倒れ、緊急手術を受けてかろうじて一命を取りとめたものの、左半身に麻痺が残り、車椅子生活を余儀なくされていた。昇進会見には、この間垣親方も不自由な体を押して同席。若ノ鵬が、

「先場所、勝ち越して入幕したら、親方の体が良くなると思って一番、一番、相撲を取った」

と振り返り、

「今場所も、同じ思いで勝ち越しを目指して頑張り、また親方を喜ばせたい」

と話すと、隣りにいた間垣親方はポロポロと大粒の涙をこぼし、

「みんなに愛される、立派な力士になってくれ」

と励ました。めでたい昇進会見で、それも師匠が、こんなふうに感激の涙を見せるのは珍しい。このときの若ノ鵬の言葉にウソはなかったはず。

ところが、この翌年、若ノ鵬は大麻事件を起こして相撲協会を解雇に。間垣親方は、

「なんてバカなことをしてくれたんだ」

と今度は悔し涙を流した。師匠の心、弟子知らず、とはこのことですね。

月刊『相撲』平成22年12月号掲載

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