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2021-09-04

【ボクシングコラム】「心にはブルース・リーの哲学がある」──ユーリ阿久井政悟の戦い方<私的考察編>

「本家ユーリ・アルバチャコフを彷彿させる」とも言われる、破壊力満点の阿久井の右

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 ボクシングにおけるスピードとは、リズムとは、テンポとは──。さる1日のV3戦では苦闘を強いられたWBO世界スーパーフライ級チャンピオン井岡一翔(志成)。だが、彼はそれらを巧みに操る“達人”であることに変わりはない。そしてその戦いぶりの影響も受け、独特の“間”を駆使して会心の勝利を飾った男がいる。日本フライ級チャンピオン、ユーリ阿久井政悟(26歳=倉敷守安)。7月21日、後楽園ホール。“パワー”対“スピード”と言われたホープ桑原拓(26歳=大橋)との大注目の一戦で、最終10回、強烈な右をぶち込んで完全KO防衛を果たした。その戦いぶりを観察した記者の、極私的考察。

※個人メディア初出(7月24日)記事に、加筆・修正を加えたものです

文_本間 暁 写真_菊田義久(試合)

ワンツーを打たない“違和”

 バルコニーの記者席から試合を眺めた。

 初回にチャンピオンが右カウンターで倒した。3回に左フックの相打ちで勝った挑戦者が王者をフラつかせた。それらはもちろん、ハイライトのひとつである。だが、試合中、ずっと気になっていたことがあった。それは、いわゆるワンツー、左ジャブから瞬時に右ストレートへつなぐコンビネーションを、試合中ずっと、10ラウンドに至るまで、チャンピオン阿久井が打っていなかったように感じていたことだ。

3回、左フックの相打ちは桑原が打ち勝った
3回、左フックの相打ちは桑原が打ち勝った。ピンチらしいピンチはここだけだった

 記者ももちろん興奮する。あんな結末を見せられればなおさらだ。元々、試合直後は頭の中で整理できていないタイプ。だから、記者たちが囲む会見で「ワンツー、全然打ちませんでしたね」と、極めて漠然としたひと言しか発することができなかった。

 すると「最後に打ったじゃん」と、他の記者から突っ込みが入った。たしかにそう。あのKOパンチは紛れもなくワンツーだ。けれども、言いたいことはそういうことじゃあないのだ。が、それを補足する言葉が続いて出てこない。

 だが、当の主役はどうやらこちらの言いたいことを理解してくれたようで、「そうですね。打ちませんでしたね」と返してきた。リング上で散々、0コンマ何秒の駆け引きを演じてきた男だ。頭も体も瞬時に反応する。“チャンピオン”という肩書を持つ者は、やはり凄い。

「う~ん、ノーモーションの右を使いました」。苦笑いしながら、端的にひと言でまとめてくれた。

鋭敏な阿久井は、記者の意図を瞬時に察知した 写真_本間 暁
鋭敏な阿久井は、記者の意図を瞬時に察知した 写真_本間 暁

 おそらく、このくだりに関しては、新聞記者陣は求めていない。われわれ専門誌記者とは必要とするもの、興味が異なるから。だから、それ以上広げるのはやめた。会見後、後日電話で話したい旨を伝えた。彼はあっさりと承諾してくれた。

 なんてことのない、どうでもいいことかもしれない。でも、こういうことが引っかかると、いろいろと考えだしてしまう。帰宅して、頭の中に残しておいた映像を取り出して、それを見る。すると、ワンツーから始まった再現が、様々なやり取りを浮き彫りにし始めた。気がつくと朝。また、眠れなかった。でも、記者である前にファンである身を考えれば、なんとも幸せな時間だ。

 あの人は、この試合をどう見ただろうか。ふと、考える。元世界3階級制覇王者、八重樫東。彼の現役時代から、自身の試合だけでなく、他の様々な試合について抱いた感想をぶつけ合ってきた。彼の感性が、当方のボクシングを見る目を養ってきてくれた。そう言っても過言ではない。さらに、挑戦者をよく知る人物でもある。すると、程なくして偶然にも彼から電話がかかってきた。

 一晩考えて整理した、自分なりの見立てを大まかに話した。連打の合間に生じる“間”、そこを突くという阿久井のテクニックについて、意見はおおよそ一致した。以下はその“見立て”である。

速い動作をスルーする

 スピード勝負はしない──。確固たる強い意志を感じた。
昨年末に井岡一翔(Ambition、現・志成)が田中恒成(畑中)と対した際の思考、仕掛けた戦術・戦略に通ずると思えた。

桑原の高速動作を完全に無視し、ゆったりとプレッシャーを与えた
桑原の高速動作を完全に無視し、ゆったりとプレッシャーを与えた

 速く動かれ、速く攻められる。そうすると、人はどうしても同じように速く動き、さらにそれを上回る速い攻撃を仕掛けていきたくなる。対抗心というよりも、それが人として、動物としての本能であるからだ。しかし、それこそが“思うつぼ”。相手のペースに引き込まれるということである。
 その勝負を我慢する、無視する。言葉にすれば、実に簡単。だが、これは並大抵のことでは実現できない。身近なことを例に挙げるとわかりやすいかもしれない。

 駅の階段の昇り降り。誰かの革靴やハイヒールがカツカツと大きな音を立てる。気がつくと、その音に合わせて自分も昇り降りしているときがある。「むむ、いつの間にか合わせてしまった」と、主導権を握られた自分を恥じてみたりする。
 逆に、自分が主体のときもある。後ろ、あるいは横を昇る人(降りる人)が、いつの間にか自分と同じリズムで動いていることがある。なんとなくそれが気持ち悪いので、左右どちらかの足の運び、着地をほんのわずか早めたり遅めたりしてみる。と、彼、もしくは彼女の足運びが途端にリズムを乱す。それまではわざとこちらに合わせていたわけではなく、何気なく勝手に体が反応し、知らぬ間に歩調が合っていただけ。だから、リズムが狂うほうもしかり。本人は、なぜリズムが狂ってコケそうになったのか、きっとわからないはず。みんな、そんなことを考えながら行動しているわけではないからだ。

 以前の取材の際、前OPBFウェルター級チャンピオン長濱陸が「スローな動きに弱い生物の本能」について語ってくれた。

「虫は速い動きには反応するけれど、遅い動きには対処できない」。子どものころのセミやトンボ捕りを思い出させてくれ、実にわかりやすく解説してくれた。これはなにも“子どもの世界”の話だけではない。いまでもそう。ハエや蚊を捉えるとき、速い動きで捕まえようとするとどうしても逃げられるが、ゆっくりと近づいていくと奴等は微動だにせず、いとも簡単に捕まえられることが往々にしてある。それを長濱は「生き物はスローな動きには気づかないもの」と言って、サイドブレーキを引き忘れた車を例としてさらに挙げた。つまり、ブレーキのかかっていない車が、坂道を急激に下りていけばびっくりして誰もが気づくが、サイドブレーキをかけ忘れた車の、ほんのわずかの移動には気づかない──。それが人間、生物の性なのだ、と。

 軽快にリングを動き回る桑原拓を、ユーリ阿久井政悟はまさにじわりじわりと追い込んでいった。決して阿久井の動きがスローというわけではない。桑原が速すぎるのだ。でも、阿久井は桑原に乗じた速いステップ、速いフットワークを使わない。むしろ、のしのしとにじり寄る。歩いていく。追うではなく、桑原が移動する方向を予測し、最短距離で近づいて防ぐ。そんな感じだ。観客たち第三者からすれば、「なんであんなに速い桑原が追い込まれているのか」わからないかもしれない。

間隙を突く

 追い込んだ阿久井は、やはり速いコンビネーションを見舞うなどということもしない。それはリング中央の戦いでもそう。いたってシンプルに、しっかりと自分の打ち方でジャブ、右ストレートを単打で打つ。

 桑原の超速のコンビネーションに慌てる様子も一切なかった。両腕でしっかりと止める。あるいは、両腕を動かして受け流す。打撃音が小気味いい。リズミカルな音を奏でることで、桑原がペースを握ることも考えられたが、ガードの上を打たせている阿久井も心地よさすら漂わせた。桑原のハイテンポのコンビネーションが、阿久井の体に染み渡る。軽快なリズムを浸透させる。ワンツー、ワンツースリー、ワンツースリーフォー……。桑原が連打を繰り返し、数を増やし、テンポを上げれば上げるほど、それは阿久井にもリズムを授け、桑原の攻めのリズムをも把握させたように感じた。


桑原の連打をしっかりと防ぐ。ガードの上を打たせてリズムを得ているようにさえ見えた
桑原の連打をしっかりと防ぐ。ガードの上を打たせてリズムを得ているようにさえ見えた

 どんなに速い動き、パンチを打つ選手でも、フルラウンド、1秒も止むことなく断続的に動き続け、パンチを出し続けられる者はいない。一瞬でも動きを止め、呼吸をする瞬間がある。阿久井はその“間”を把握していた。待ち構えていた。そこにジャブを差し込む。右ストレートをポンと合わせる。左フックを上と下に振る。相手からすれば、たとえそれをヒットされなくても、この“間”を埋められるのは苦しい。休まる瞬間が奪われるのだから。

 阿久井が取得していた“間”は、どの距離でも生きていた。しかし、その“間”を生かすには、最も基本的な攻撃であるワンツー、テンポよく速く打ち込むそれは不要だった。ワン、いわゆる左ジャブに反応されて、続く右ストレートはあっさりとかわされてバランスを崩す可能性も生じる。速く動き、速いパンチを放つ選手は、相手のスピードにも機敏に反応できるもの。攻めも守りも“スピードの世界”で生きているわけだから、対応力は高い。

 事前にそう考えて、あるいは試合中にそう感じ取って、ジャブにしても右ストレートにしても“合わせる”に近い感覚で打つ。しかも、単打で。打つという“気”を消して、ポンと出す。かつての佐藤洋太(元WBC世界スーパーフライ級チャンピオン)や、最近では前OPBFスーパーフェザー級王者・三代大訓(ワタナベ)が演じてみせたようなジャブ。単打を確実に当てるのは、別府優樹(久留米櫛間&別府優樹)を攻略したOPBF&WBOアジアパシフィック・ウェルター級王者・豊嶋亮太(帝拳)にも共通した。彼の場合、連打の間隙に、別府の強打を合わされるのを避けた気がする。単打を確実に当てて弱らせ、別府の強打をもらわない“一挙両得”の選択である。

「ジャブは予想以上に当たりました」と阿久井は言った。左も右も、いずれも「ノーモーション」。はなからスピードを出そうという気がないし、打つ気配も消えているから、予備動作もない。だから当たる。

ブルース・リーの哲学は格闘技の究極

亡くなって半世紀近く経つものの、いまだ世界中の人々を虜にするアクション・スターにして武道家のブルース・リー。そんな彼の哲学に、阿久井も多大な影響を受けている Photo/Getty Images

亡くなって半世紀近く経つものの、いまだ世界中の人々を虜にするアクション・スターにして武道家のブルース・リー。そんな彼の哲学に、阿久井も多大な影響を受けている

 試合翌日の午後、LINEが届いた。送り主は前夜のヒーローだった。まもなく岡山に着くという。新幹線の中からだったのだろう。開いてみると、会場のスクリーンにスローモーションで映し出されたフィニッシュシーンの動画、さらに「理想のパンチで決めれてました笑」というひと言。本人もそこまで鮮やかに決まっているとは思わなかったようだ。続けて「BE WATER、MY FRIEND」という文字付きのブルース・リーのスタンプ。そしてその哲学を語る彼の動画まで添付してきた。

「心を無にするんだ。決まった形を持つな。水のように。水をコップに入れれば、コップの形になる。ビンに入れればビンの形に、急須に入れれば急須の形に。水は流れる。激しく叩きつけることもある。水になれ」

 格闘技の究極です、と阿久井はLINEを締めくくった。

最終回残り11秒、阿久井は会心の右ストレートを打ち抜いて、桑原を完全KO
最終回残り11秒、阿久井は会心の右ストレートを打ち抜いて、桑原を完全KO

 かつては「弓を引くようにして放つ」、「左で照準を合わせて、同じ軌道を通るようにして打つ」と自身の右ストレートを表現してくれたが、この日はそういう右を最後の最後まで打たなかった。そしてその最後のワンツーも、基本中の基本と言われるタイミングのワンツーとも異質のもの。ワンツーではなく、ワン・ツーと、ワンクッションの“タメ”があった。このタメが、さらに違和をもたらしていたのかもしれない。

 精神的にも肉体的にもじりじりと桑原にダメージを与え続け、待って待って待ち抜いた末に訪れた瞬間──確信を持ってねじ伏せにいった、狂気を孕んだ見事な右だった。

 地元への凱旋。当分の間、ヒーローは多忙な日々を過ごすはずだ。
「BE WATER、MY FRIEND」──水になれ。水と一体になれ──。あらためて彼と直接対話するその日まで、彼がくれたヒントを基に、この試合を頭の中で幾度も反芻する。            <文中敬称略>

※インタビュー編に続く

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