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2021-10-01

【連載 名力士ライバル列伝】旭富士 小錦 霧島の言葉「心を燃やした好敵手たち」・大関霧島後編

幕下時代からたゆまぬ努力で筋骨隆々の体を作り上げ、“角界のヘラクレス”の異名を取った霧島

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昭和から平成へ、時代のターニングポイントにおいて、
土俵を沸かせた名力士たち。
元旭富士の伊勢ケ濱親方、小錦八十吉氏、
元霧島の陸奥親方の言葉の言葉とともに、
それぞれの名勝負、生き様を回顧したい。
※平成28~30年発行『名力士風雲録』連載「ライバル列伝」を一部編集。毎週金曜日に公開します。

残されないよう、それ以上に吊り上げればいい

地道な努力で体を大きくし、技を磨き、徐々に番付を上げていった霧島は、30歳にして、「あの頃は土俵人生で唯一、相撲が楽しいと思えた」という充実期に入った。平成2(1990)年初場所は11勝のうち実に5勝が吊り出し。そして翌春場所6日目、通算1000勝の大記録がかかった千代の富士との一番を迎える。初顔から11連敗と歯が立たなかった大横綱は、霧島にとって特別な存在でもあった。

「廻しを取ってスピーディーに前に出ていく千代の富士関の相撲が、私の理想。でも実際は勝ち身が遅くて、押し込まれて打っ棄り勝ちしては、師匠に怒られていました(苦笑)。千代の富士関はスピードもパワーも、レベルがまったく違った。たとえ左四つに組み勝っても、あの体が150キロにも、200キロにも重く感じるんです」

それでも決め手はやはり、必殺の吊りだった。「一度、花相撲で吊って勝ったことがあった。これしかないと」。左から当たって左四つに組むと、渾身の力で高々と持ち上げて土俵の外へ。「記録を阻んだどうこうより、一番憧れていた方に勝つことができた。それが本当にうれしかった」

忘れられない白星とともに、初土俵から91場所かけての大関昇進。そして平成3年初場所を迎える。13日目に旭富士、14日目に大乃国の2横綱を連破し、千秋楽の相手は、1差で追い掛けてくる横綱北勝海。

「当たりが強くて出足もあるという、一番苦手なタイプ。だから、立ち合いで当たり負けせず、先に廻しを引く。引いたらもう、死んでも離さないぞと」

大一番で決めたのもまた、宝刀・吊り出しだった。振り返れば、大関貴ノ花初Vの盛り上がりを花道で見つめていたあの時から、96場所が過ぎていた。華やかな場面には縁がないと思っていただけに、夢のようでズシリと重い、初賜盃の感触だった。

16場所で大関を陥落後も、長く土俵を務め続けた霧島。励みになったのはやはり、新入幕からともに幕内で戦い、一時は横綱不在で番付トップを二人で担ったこともある、小錦の存在だったという。

「『弱いからもうやめるのか?』『いやいや、お前より早くやめるわけにはいかないよ』なんて互いに言い合いながらね(笑)。土俵上でも土俵外でも、小錦関の苦労や、いろんな姿を見てきましたから。それも、自分に長く相撲を取らせてくれた、きっかけになったと思います」

大関霧島の吊りは、真正面から高々と上げる豪快無比なものだった。吊りは本来、横へ運んでいくのがセオリー。正面から出そうとすれば、俵で残され打っ棄られる危険性があるからだ。だが霧島は「ならば残されないよう、それ以上に吊り上げればいい」と、鋼の肉体をフル稼働させ、高々と相手を持ち上げてみせた。

「夢は小錦関を吊ること。そのために筋トレにも力が入った。さすがに難しかったけれど、いい思い出です」

力士の大型化がさらに進んだ現在、吊り出しはめっきりと減り、角界を彩ってきた起重機の系譜も途絶えたまま。「挑戦する力士が出てきてほしいし、自分の部屋からも育ててみたいですね」。“最後の吊り名人”はそう、言葉に力を込めた。

小錦 16勝ー19勝 霧島

『名力士風雲録』第19号旭富士 小錦 霧島掲載

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