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2021-10-20

藤波辰爾が語る新日本プロレス旗揚げ前夜<プロローグ2>ジャイアント馬場さんの付き人から教わったアントニオ猪木の付き人の仕事【週刊プロレス】

アントニオ猪木の付き人を務めていた藤波辰巳(写真は新日本時代)

 藤波辰爾が語った“新日本プロレス旗揚げ前夜”。今回は日本プロレスに入門した直後の話。アントニオ猪木の付き人となった藤波。最近は付き人制度も薄れてきたプロレス界だが、当時はどのような仕事をこなしていたのだろうか?

      ◇        ◇        ◇

 当時の日本プロレスはBI砲の全盛期。藤波が見たジャイアント馬場の印象、そして猪木さんにつくようになってからの藤波少年の様子は?

「プロレス会場に行ってたから大きさは知ってたんだけど、リングを下りたレスラーって、リング上で見るより大きい。ナマで見る威圧感っていうか。特に馬場さんはこの世の人とは思えない(苦笑)。考えられない大きさ。その人がすぐそこにいるわけだからね。最初にあいさつした時の馬場さんのデカさ……それはすごかったですね。

 その人が日本プロレスを代表するレスラーで。のちのち僕は猪木さんの付き人になるんですけど、猪木さんとも口をきけずに、あいさつするのが精いっぱい。足が震えて。自分も同じ世界にいるって気持ちは切り替えていて単なるファンという気持ちはもうなかったんだけど、それでも足が震えて。この中で自分も生活するんだって考えて。まだその時は入門の許可ももらってなかったんだけど、自分ではもうプロレス界に入ったっていう感じでいたね」

 そして猪木の付き人になる。当時、馬場の付き人を務めていたのは佐藤昭雄(のちのシンジャ=WWE)。彼との関係は?

「僕より半年から1年弱先輩。彼はもう引退してアメリカに住んでますけどね。一番近い先輩ですから、話し方とかプロレスの付き人はどういう仕事をするのかを教えてもらいましたね。例えば、彼にとっては馬場さんになるんだけど、僕からすれば猪木さんが何を欲してるのか、何をしてほしいのかっていうのを悟らなきゃいけないとかいうのをね」

 今のプロレス界においては、付き人制度もだんだんなくなってきている。もしあっても、そこまで考えて付き人してるかと言われると、首を傾げざるを得ない。ただ、当時はそれは当たり前の時代だった。

「猪木さんの付き人はいっぱいいましたけど、なんでああいうことをしてあげられるんだとか、気がつくことはいっぱいありましたね。猪木さんがなにをしてもらいたいのか、なんとなく動作、ちょっとした動き、目の動きで察知するようになりましたね」

 当時から多忙だった猪木だけに、付き人もムダな時間を使わせないように猪木の時間を処理しないといけない。

「そういう時代でもあったんでしょうね。それはわれわれの世界だけじゃなくて。手ほどきも大事だけど、当時は手ほどきを受けることなんかなくて先輩のやること、試合での動きもそうだけど、リング外の仕事も見て覚える。さすがに今までとまったく違う世界に飛び込んだわけだから、なかなか覚えられるもんじゃないんだけど、先輩の方々から『セコンドに付いて、見て覚えろ』ってよく言われましたね」

(つづく)

橋爪哲也

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