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2021-10-22

藤波辰爾が語る新日本プロレス旗揚げ前夜<プロローグ4>アントニオ猪木の付き人の仕事を通じて感じた洗練された相撲界のしきたり【週刊プロレス】

1972年1月、新日本プロレス道場開きのアントニオ猪木と藤波辰巳(一番右)

 現代はプライベートを大事にする時代。芸能界も含めて弟子入りといっても住み込みで師につくような24時間体制は遠い昔のこと。では日本プロレス時代の付き人は、どこまで師の世話をしていたのだろうか。身支度を整えたり、荷物を持ったりという部分は想像できるが、それ以外は?

 日プロ時代を振り返り始めた時は、「どこまで覚えてるかな?」と口にしていた藤波辰爾だったが、話し始めると次々といろんなことを思い出していった。

 ところで、猪木の付き人とは具体的にどのような仕事をするのだろうか? 「中には必要以上、それは付き人がやる仕事じゃないというところまでやらせる人もいましたけど」と笑った後で、日プロ時代の藤波は、その経験からこう語った。

「選手が地方巡業に出たら、まず先輩のカバンを持つ。試合道具は全部。それに多少の着替えなど。ホテルに着いたら試合会場に持っていく身支度を整えて。もちろん洗濯は当たり前。試合が終わったら背中を流したり。それは相撲と同じ。今はそういう機会もなかなかないだろうね。親子でも背中を流すなんてのはね。

 背中の流し方も基本があって。自分の手にタオルを巻いて、どういう順序で流すかとか。背中を流してもらったときに、相手が気持ちいい、心地いいって感じる流し方じゃないとダメだとかね。

 当時はシャンプーもしてあげてて。猪木さんが座ってて、後ろから洗ってあげるわけだけど、シャンプーが目に入らないように手を添えて。散髪屋でしてもらうのを思い出せばわかりやすいかな。最初は“俺はお風呂場で仕事するために入ったわけじゃないんだけどなぁ”って思ったけどね。

 今はホテルに泊まるけど、当時はみんな旅館に泊まってて。各地に力道山時代から行きつけの旅館があったりでね。新日本プロレスになってからもその旅館に泊まってましたね。

 馬場さんや猪木さんといったメインイベンターはみんな一人部屋。そこに付き人がついて、試合が終わったらいっしょに食事するわけだけど、ご飯にしてもおいしく食べられるよそい方とか。たくさん食べるからテンコ盛りにすればいいってわけじゃなくてね。それはダメ。

そういう作法っていうか、給仕の仕方まで教えてもらって。今の人はそれもしたことないんじゃないかな。それが僕らの時代。それも相撲から来ててね。そう考えると、相撲のしきたりってすごいなあって思うね」

(つづく)

橋爪哲也

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