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2021-11-06

「モハメド・アリ戦で猪木さんは生きた心地がしなかったでしょう」藤波辰爾が語る海外武者修行時代<8>【週刊プロレス】

モハメド・アリにアリキックを放つアントニオ猪木

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 まさにゴッチイズムを昇華させたといっていいWWWF(当時)世界ジュニアヘビー級王座戴冠劇。そこまで坂口征二、ストロング小林といった存在こそいたものの、新日本プロレスは旗揚げ以来、アントニオ猪木の一枚看板だった。木戸修、長州力が期待されながら凱旋帰国したものの、トップ3と並ぶまでには至らず、ようやく次代のスターが誕生した瞬間でもあった。

 海外武者修行も世界のベルトを手土産に打ち上げ。いよいよ凱旋帰国する。単に新たなスターが誕生したというだけでなく、全日本プロレスにジャイアント馬場の後釜としてジャンボ鶴田が存在したように、若きジュニア王者となった藤波辰爾は猪木の後継者とまで言われるようになった。

 約2年半にも及ぶ海外遠征を振り返ってもらったが、その間に新日本は70年近い日本プロレス史において最大のビッグマッチがおこなわれていた。

 藤波が海外を転戦しているとき、日本では世紀の一戦がおこなわれた。アントニオ猪木vsモハメド・アリの格闘技世界一決定戦(1976年6月26日、日本武道館)。藤波は遠くアメリカからこの闘いをどのように見てたのか? そして現在はどう見てるのか?

「ちょうどその時、僕はノースカロライナにいたんですよ。ニュースは向こうでも流されて見たんで猪木vsアリ戦の評判も聞いてますし、でもどうしても時代が違うっていうか、自分たちが持ってる範囲での受け取り方しかしてないんですね。どっかでエキシビションっていう部分があるだろうって。

 だったらもうちょっと猪木さんが立っていてアリがパンチを出す姿だとか、猪木さんの華麗な動きがお互いにいい形で交わる部分はなかったのか。なんで猪木さんが寝たままなのか。どうしてアリも何もできない状態でいたのか。でも猪木さんのアリキックでアリの太モモが腫れ上がって。あれを誰がどう見てたか。

 猪木さんが取った戦術、あれは僕らでも同じ戦術を取ったんじゃないかと思いますね。あれが今、もう1回見直されてきてるってのは、やっと皆さんが理解してきたっていうね。どこかにテレビらしく、興味を持って見れるような部分、なんで演出がなかったのかとか、なんで猪木さんは立って闘てくれなかったのかとか、いろんな見方があるでしょう。

 でも、あの世界のモハメド・アリのパンチを一発もらえば、猪木さんでもひとたまりもないでしょう。向こうは殴る専門、こっちはつかんでどうするか。それがいろんなルールの制約があって、つかむことさえできない。ロープ際で闘っても放されてしまう。

 いろんなルールでがんじがらめになって、お互いがお互いのよさを殺してしまって。特にモハメド・アリは世界のアリですから。猪木さんもあのリングの中に入ってると、生きた心地がしなかったでしょうね。僕はそう思いますね。あの時の猪木さんは、あれが精いっぱいだったでしょうね」

橋爪哲也

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