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2021-11-09

藤波辰爾が語るジャンボ鶴田「闘いたかったけど、闘わなくてよかったっていう思いもあります。馬場さんと猪木さんのようにね」【週刊プロレス】

藤波辰巳とジャンボ鶴田

 藤波辰爾といえば、なにかと比較され、対戦が期待されてきたのがライバル団体である全日本プロレスの“若大将”ジャンボ鶴田。互いにアントニオ猪木、ジャイアント馬場の後継者と目されてきた。

 結果的にタッグも含めて対戦は実現せず、夢のまま終わってしまった。2人が同じリングに立ったのはミル・マスカラスを加えてトリオを組んだ1978年8月26日、日本武道館で行われた「夢のオールスター戦」一度限りだ。

 藤波は鶴田のことをどう見ていたのだろうか? そして同じレスリング五輪代表として入門してきた長州の存在はどのようにとらえていたのか?
      ◇        ◇        ◇
「彼はどうかわかりませんけど、僕はどこかで意識してましたね。向こうは馬場さんの二番手で、自分は猪木さんの二番手。どうしても周りは期待しちゃいますよね。闘いたかったという思いもあるけど、でも闘わなくてよかったかなぁっていう思いもありますね。馬場さんと猪木さんのようにね」

 ミュンヘン五輪レスリング代表として全日本プロレスに入門したた鶴田。ただ藤波のすぐそばにも、鶴田と並ぶ実績を引っ提げて入門してきた男がいた。長州力だ。

「まぁ鶴田さんは、その実績からしてもプロレスの申し子みたいでね。僕は長州もそう思ってました。彼もオリンピック代表として鳴り物入りでプロレス界に入ってきて。

 ベースもしっかりしてるし、彼が入門した時、僕はまだ海外に出る前の若手で。猪木さんの次を継ぐ選手になるんだろうなっていう感じで、反対に僕の方がうらやましく思ってましたよ。

 最初は新日本プロレスがどれだけ存続できるかっていう方に頭があったからね。選手が増えるってことはライバルが増えるわけだから、本来は負けてられないって危機感をあおられるはず。

 でも僕は旗揚げした頃を知ってるから、選手が増えると本当にうれしくてしょうがなかった。団体として少しずつ形ができてきた、これでウチの会社も安定してくるなって、そっちの方を考えちゃって(苦笑)。

 そういう部分、今の選手にはわからないだろうね。その頃は自分が有名になりたい、メインイベンターになりたいなんてことよりも、団体が存続できるかどうかだったから」

(つづく)

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