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2021-12-03

「ニュージャパンは最高のカンパニーだった」“狂虎”タイガー・ジェット・シンが語ったアントニオ猪木<2>【週刊プロレス】

タイガー・ジェット・シン

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“新宿伊勢丹事件”でライバルから仇敵へと関係が変わったタイガー・ジェット・シンとアントニオ猪木。リング上ではNWFヘビー級のベルトをめぐる闘いを繰り広げたが、勝負をつけるというよりも、ランバージャックマッチ(1973年11・30福山)、火炎攻撃(1974年6・20蔵前)、腕折り(同年6・26大阪)と、互いに相手を傷つけることを目的とした抗争となった。その中でハイライトとなるのが、シンの王座奪取(1975年3・13広島)。それも反則絡みでなくブレーンバスターからの3カウント、完勝だった。

     ◇      ◇      ◇

――そして広島で猪木を倒してNWFヘビー級のベルトを奪いました。その時の思いは?

シン 別にベルトが懸かったからといって、イノキとの闘いが変わったわけじゃなかった。どちらの体に大きなダメージが残るか。そういう闘いだった。闘いというものはどちらかが勝って、どちらかが負ける。ようやく勝ったことでイノキとのハードな戦争にひと区切りついたと思っただけ。ベルトは後からついてきたもの。ベルトを取ったからといってイノキとの戦争が終わったわけではなかった。むしろ、イノキをもっとひどい目にあわせてやろうと思った。

――だけど時にはテクニックで勝負したこともありました。

シン 私にはアマチュアレスリングのベースがある。そしてハードなトレーニングを積んできた。マットではなく砂の上、ときには泥にまみれて鍛えてきたもの。イノキとの闘いのなかで、それを披露する機会が訪れたときにはテクニックで勝負した。

――もしあなたがクレイジーファイトだけしか見せなかったら、日本のファンはあなたを憎むばかりでリスペクトすることはなかったでしょう。

シン イノキとの闘いは1度や2度で終わるものじゃなかった。その時々に応じていろんなスタイルで勝負した。私は日本ファンを憎んでたわけじゃない。だけど私を恐れていたことはわかっていた。日本人は簡単に友達にならないと感じていた。時間をかけて気持ちを開いていけば、必ず私のことを理解してくれると思っていた。時にはテクニカルスタイルで闘ったのは、そういう思いもあったんだ。私は決してビジネスだけで日本人と付き合いたいと思っていなかったしね。信頼を築いていってこそいい関係が築けるというのが、私の人生の中で重視していることだ。

――猪木vsシンは単に2人だけの闘いでなく、団体を経営していくうえでの闘いでもありました。結果、日本全国のファンを熱狂させ、新日本はトップ団体に成長していきました。

シン 初めて北海道に行ったときのことを覚えている。それまで新日本は北海道でショーを開催したことがなく、ビジネスの基盤がなくて大きな勝負だったと聞いた。だけど北海道に限らずどこへ行ってもソールドアウト。それは私とイノキの闘いだけでなく、ニュージャパンのヤングボーイ全員がハードなトレーニングを積んで素晴らしアスリートに成長して頑張ったから。ニュージャパンは最高のカンパニーだった。仙台にしてももう亡くなったけどミウラというプロモーターは最初、1大会しか買わなかった。だけどそれがソールドアウトになったものだから、2大会、3大会と増えていった。最後は仙台エリアすべてのショーを買っていたという。私を高く評価してくれて、仙台に行くたびに素晴らしいもてなしをしてくれた。寿司屋を借り切ってバースデーパーティーを開いてくれたりね。

(つづく)

橋爪哲也

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