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2022-04-26

【泣き笑いどすこい劇場】第8回「父」その2

曙の父ランディさんと母ジャニスさん。息子の日本での活躍を心から喜び、誇りに思っていた

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師匠のことを、陰で「オヤジ」と呼ぶ力士が多いようです。そのほうが親しみを込めやすいんでしょう。では、実のオヤジはどうでしょうか。同じ男同士。中には、父から相撲の手ほどきを受けた者も多く、父の背中を見て育ち、尊敬し、慕っている力士はそれこそ枚挙にいとまはない。前回は母を取り上げたので、今回は父にまつわるエピソードを取り上げましょう。

「私が曙の父!」

我が子が最高峰の横綱にまで上り詰めたときの両親の喜びはいかばかりだろうか。ハワイ出身の曙が若貴らとの出世競争に競り勝ち、第64代横綱に昇進したのは平成5(1993)年の初場所後のことだった。史上初の外国人横綱の誕生だった。

このニュースが太平洋を越えてハワイに届いたとき、父親のランディさんは、

「もしできることなら、ホノルルで一番高いビルの屋上に上がって、私は曙の父親です、と大声で叫びたい」

と話している。当時、ランディさんは足をケガしたため、車イス生活を送っており、残念なことに妻のジャニスさんに後ろを押してもらわないとビルの下に行くのもままならない状態だった。

協会から横綱昇進を伝える使者が到着する前日、

「息子の晴れ姿をこの目でみたい」

とランディさんはジャニスさんや次男のランディ・ジュニアさんらに付き添われてはるばるハワイから来日した。ビルの屋上に上がって叫ばなくても、成田空港に到着したときに被っている帽子には英語で「曙の父」、着ているジャンパーには「相撲」「曙ファミリー」と大きく書かれ、ひと目でランディさんが曙の父親であることがわかった。その時まで横綱を息子に持った父親はたった64人。きっと言葉に言い尽くせないぐらい晴れがましい気持ちに違いない。横綱誕生の日、ランディさんの胸は息子に負けないぐらい突き出ていた。

月刊『相撲』平成23年6月号掲載

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