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2022-05-10

藤波辰巳が新日本からの“社内独立”を宣言「大相撲の部屋制度のようなもの」【週刊プロレス昔話】

独立を宣言した藤波辰巳

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 SWSより先に“部屋別制度”の実現に動いていたのが藤波辰巳。1990年4月3日、静岡県清水市の日本平ホテルにおいて“藤波部屋”(仮称)の設立を発表する会見がおこなわれた。

 新日本から分裂するわけではなく、あくまで組織改革の一環と説明され、企業内の独立であることが明かされた。会見の途中から新日本の坂口征二社長も同席。

「これは新日本の分裂ではなく、組織改革を目指すものである」

「大相撲の部屋制度のようなもので、いわば企業内企業としての独立」

「あくまでも闘いの本場所は新日本のリングだが、将来は独立採算性を目指し、独自の興行もおこなう方向にある」

 当時、1989年6月22日の新日本佐久大会の対ベイダー戦で腰を痛めて欠場中の藤波は今後への指針を語り始めた。やがてドラゴンボンバーズの結成に至るが、その“初動”とも言える会見。現在、各団体でおこなわれているユニット抗争にもつながる話であり、当時は明確な成功例となったわけではないが、藤波の先見の明を感じるエピソードだろう。

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