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2022-10-02

アントニオ猪木ならではのメディア掌握術とは?…新日本プロレス歴史街道50年<特別編1>【週刊プロレス】

たこ焼きを食べるアントニオ猪木

10月1日、アントニオ猪木が心不全のため亡くなった。79歳。2020年に難病である全身性アミロイドーシスを患ったことを公表、闘病を続けていた。

時折、メディアにも登場したことから回復に向かっていると思われていたが、体調は朝起きてみないとわからない日替わり状態だったという。24時間テレビに出演した際も、体調は芳しくなかった。しかしカメラが回るとスイッチが入るのか、拳を突き上げた。リング上の闘いだけでなく、どんなスキャンダルに泣き込まれても決して弱音を吐かない。

そんな猪木の姿を見たI編集長こと井上義啓「週刊ファイト」元編集長は「プロレスファンなら猪木の姿から強い精神力だけは学ばないといけない」と記した。プロレス界のみならず昭和のスポーツ界を支えたスーパースターだった。

     ◇      ◇      ◇

リング上のアントニオ猪木の姿に魅せられて、元気、勇気をもらったファンは多いだろう。猪木にあこがれ、猪木のように強くなろうとした人も多いはず。しかし猪木の凄さはリング外にもあった。その一つが、決して取材を断らなかったこと。

まだ取材制限がさほどうるさくなかった時代。地方巡業などでは事前に約束もせず、試合後のホテルに訪ねることも多かった。とはいえ猪木も多忙の身。スポンサーとの付き合いなどで、日付が変わってもホテルに戻らないこともあった。

深夜に戻ってきてロビーで記者の姿を見つけると、一瞬、びっくりしたような表情を見せて「こんな時間にどうしたの?」と声をかけ、疲れているはずなのに部屋に招き入れて取材に応じることも多々あったという。

引退後も「どこそこにいるから」との情報を得て押しかけ、アポなしでその場で取材を申し入れたこともあった。もちろん周囲は断ろうとするが、「俺がいいって言ってるんだから」と制止して時間を割いてもらった。

IGFのプロモーションで来阪した際には強引に密着。「ちちんぷいぷい」「痛快 明石家電視台」(ともに毎日放送)などTV出演の合間にインタビュー。予定調和を嫌う猪木らしく、スケジュールもその場で変更することも日常茶飯事。同行したスタッフが「猪木さんと一緒にいると体がもたない」とボヤく一方、猪木自身は相手がしてほしいと思っていることを瞬時に察知して一発OKを出す感性の鋭さは、リング上そのままだった。

その密着取材ではこんなことも。

ホテルのレストランで昼食を取っていた時のこと。少し離れたテーブルで食事をしていたご婦人が猪木の姿に気づいて、何やらひそひそ話している。どうやら「ほら、猪木さんがいるわよ」と言っているようだ。

食事が一段落した猪木は席を立ち、ご婦人たちのテーブルの方に歩を進める。そして猪木の方から「写真撮りましょうか?」と笑顔で声をかけたのだ。そして、ちょっとした撮影会が始まったが、“一寸先はハプニング”の展開を仕掛けて喜ぶ無邪気な一面を見せいていた。

会場外での押しかけ取材に応じていただいたにもかかわらず、周囲はともかく、猪木自身から記事の内容に注文をつけてきたことは記憶にない。逆に「事務所からこういうこと言われました」と伝えると、決まって「ン? 俺は読んでねぇから。どう書かれようと、どうってことねぇよ」と返ってきたものだ。

最近ではメディアをもコントロールしようとする団体や事務所が多い。その点で猪木はメディアの重要性ををよく理解していたし、うまく活用していたともいえよう。

(つづく)

橋爪哲也

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