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2022-10-21

【ボクシング】中谷潤人の盟友“トニー”オラスクアガ。近未来のトップスター候補ストーリー

お馴染みルディ・トレーナーはじめチームで勝利を祝う

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 2023年、世界のトップシーンに躍り出るであろうボクシング軽量級のホープを紹介したい。現在WBA世界フライ級8位にランクされる、アンソニー・オラスクアガ(アメリカ=帝拳)。先週14日(日本時間15日)、アメリカ・ニューヨーク州ナイアガラ・フォールズで行われた興行で、マルコ・サステイタ(アメリカ)に初回2分40秒TKO勝ちを収めた無敗の23歳だ。

文_宮田有理子
Text by Yuriko Miyata
Photos by Damon Gonzalez/AllStarBoxing

キャリア積み上げ中の魅惑のハードヒッター

 初めてメインイベンターの大役を任されたプロ5戦目をまえに、「イベントの最後に、お客さんに興奮を持って帰ってもらいたい。でも、普段のスパーリングのつもりで、冷静に戦おうと思っているんだ」と言ったとおり、試合が始まるとガードの間からまずは相手の動きを偵察した。相手のサステイタはここまで18戦13勝(11KO)4敗1分、敗れた相手はいまやWBC世界スーパーフライ級王者のジェシー・ロドリゲス(アメリカ=帝拳)や世界ランカーのリカルド・サンドバル(アメリカ)ら強豪が並ぶ。好戦派で、この日も積極的に手を出した。それを見て、オラスクアガはコンビネーションを差し込んでいく。左のダブル、アッパー、ボディを加えてサステイタをロープ際へ下がらせて、右から左フック。この一撃で動きが止まったところへさらに同じ左フックを2つ追加して、ダウンを奪った。セコンドの岡辺大介トレーナーによれば、ガードのむこうの側頭部を狙ったその左は、「練習したとおりのパンチ」だったという。サステイタは立ち上がりこそしたものの足元が定まらず、陣営がタオルを投げて試合は幕となった。

豪快さと緻密さを兼ね備えたスタイル
豪快さと緻密さを兼ね備えたスタイル

 体重50.8キロ・リミットの階級で、魅力的なハードヒッターである。広めのスタンスから、拳にパワーを伝える体の使い方は、天性なのだろう。WBA・WBC世界スーパーフェザー級の名王者である故ヘナロ・エルナンデスの実兄で日本にも馴染みが深い名トレーナー、ルディ・エルナンデスが育ての親。11月1日にスーパーフライ級転向第一戦を迎えるWBO世界フライ級チャンピオン、中谷潤人(M.T)とは、10代のころから練習をともにしてきた同志である。2020年9月にプロデビュー。3戦目のパナマ遠征でWBAフェデラテン・タイトルを獲得し、今回の快勝で5戦5勝3KO。「7戦から10戦あたりで世界タイトルに挑戦できれば」と、エルナンデスが描いてきた理想は、すこしずつ現実に近づいているようだ。中谷が卒業する世界フライ級のトップシーンを賑わせる存在に、遠からずなるはずの若者は、いくつもの奇跡が連なって、そこにいる。

少年はルディ一家のファミリーとなった

 屈託のない笑顔がとにかく印象的な少年アンソニーと、ロサンゼルスのジムで初めて会ったのはいつのことだったか。エルナンデスの息子マイケルに「友達のトニー(アンソニーの愛称)だよ」と紹介されたその子は、練習を始めてまだ数日だというのにまるで滑らかに動いてみせ、好きなのはバスケットボールだと言った。「いつだって誰よりも小さかったけれど、スポーツは何でも、やれば周りより上手くできた。スピードとパワーにはいつも自信があったよ」。しかし、たまたま遭遇できたそのボクシングレッスンは、1週間で終了していたという。当時12歳。「ルディが“1週間続けたら10ドルあげる”って言うから行ったけれど、スパーリングするわけじゃないし、シャドーボクシングだけじゃ退屈で」。ボクシングへの“目覚め”は、それから3年ほど後のことになる。

 エルナンデスは妻キャロルとともに、オラスクアガを自宅にひきとって息子と同じように厳しく育てていた。ただ息子の友達というだけならそこまではしない。小学生なのに暗くなっても路地を歩いている姿を何度も目撃し、その環境を案じてのことだった。
「僕のファミリーは、いいファミリーじゃなかった」、オラスクアガは告白する。狭く暗いアパートで父は、母に、6人のきょうだいに、暴力を振るった。9歳の1年間は里子に出された。叔母のもとを経て家に戻ったものの、虐待をやめない父はやがてメキシコに強制送還。働きどおしの母は疲れ切っていた。
「家にいたくなかった。学校の門が6時に閉まったあともスポーツしたり遊んだり、いつもどこか行く場所を探していた。マイケルとはとくに仲がよくて泊まることも増えて、ルディとキャロルが、いっしょに暮らそうと言ってくれたんだ。うちにはお金も車もなく外食やショッピングを楽しんだ経験がなかったから、何もかも感動だった。学校の宿題だって、ちゃんとやるようになったよ」

始まりは、ジュントに倒された瞬間だった

2017年3月。中谷(中央)と左はスーパーバンタム級のホープで中谷のスパーリングパートナーでもあるエイドリアン・アルバラード(23歳=7勝4KO1分)。3人は同門トリオだ Photo/Yuriko Miyata

2017年3月。中谷(中央)と左はスーパーバンタム級のホープで中谷のスパーリングパートナーでもあるエイドリアン・アルバラード(23歳=7勝4KO1分)。3人は同門トリオだ Photo/Yuriko Miyata

 安心できる家庭。今まで知らなかった生活。授かったのは、それだけではない。
 2014年、エルナンデスはもう一度、15歳になるオラスクアガをボクシングに誘った。ちょうど、一つ年上の中谷が、門下に加わったころ。トレーナーは一計をめぐらせる。悪さをした罰と称して、中谷を相手に人生初のスパーリングを科したのだ。日本の全国Uー15大会で2年連続優勝し、プロになる準備をしていた中谷には、「ジュント、ボディだけ打って」と耳打ちしておいた。結果、そのボディブローで、オラスクアガはキャンバスの上で悶絶。座り込んだまましばらくしゃくり上げて泣く彼に、エルナンデスは問う。「もうボクシングはこりごりか?」。返ってきた答えはこうだった。「冗談じゃない。絶対に強くなってやり返してやる」。“ボクサー、アンソニー・オラスクアガ”、始まりのストーリー。人生のほとんどをボクシングの世界で生きてきたエルナンデスにとっても、この“お手柄”はとりわけお気に入りの一つのようだ。
「痛かった、というより、恥ずかしかった。だって、喧嘩で負けたことがなかったから。そのうぬぼれを完璧に折られて、いつか必ずジュントを倒し返そうと思った。でも、それが目標だったはずが、ボクシングに一生懸命になれたのは、他のスポーツにはない難しさを感じたからだと気づいたんだ。ルディに“ジュントに感謝しなくちゃな”と言われて、本当にそのとおりだと思った」

自ら城を立てる夢語る、逞しきお姫様

2017年9月。寺地を迎えたトニー&エイドリアン。Photo/Yuriko Miyata

2017年9月。寺地を迎えたトニー&エイドリアン。Photo/Yuriko Miyata

 オラスクアガがもつ運動センス、度胸、上達のスピードは、辛口のトレーナーを喜ばせた。2017年夏、ロサンゼルスを訪れていたWBC世界ライトフライ級チャンピオン寺地拳四朗(BMB)とのスパーリングを見ていた寺地永会長は、「天才トニー」と呼んでいたものだ。だが道は険しかった。強打のゆえに自らの拳を傷めた。東京オリンピックの国内選考プロセスがスタートしていた2019年1月、拳の手術に踏み切った。その11月、文字通りの“ラストチャンス・トーナメント”フライ級で準優勝。全米で各階級8名だけが出場できる12月のオリンピック・トライアルに滑り込む。が、初戦で第一シードのマイケル・アンジェレッティを判定で破ったあと、体調を崩して2戦目を棄権。敗者復活戦を待たず、師弟は帰路についた。
「たとえトライアルに優勝しても、オリンピック出場の可能性はとても低かった。最終的な代表決定を左右するアマチュア実績が僕にはなかったから。ナンバーワンの選手に勝っただけで十分だった。もしもオリンピックに行っていたら、メダルを獲っていたら、と考えてもしかたがない。プロになって、3戦目で世界ランクに入って、これからも一戦一戦しっかり勝ちながら、いつチャンスがきてもいいように準備しているよ」

“トニー”オラクスアガ。2023年は旋風を巻き起こす存在必至
“トニー”オラスクアガ。2023年は旋風を巻き起こす存在必至

 手先が器用で、得意なヘアカットを副業にするオシャレさん。ピアスを開けたり、ネイルを試したり。そんな様子にあきれたエルナンデスに押しつけられたニックネームが、“プリンセサ(スペイン語でお姫様)”だ。「最初は腹が立ったけれど、今はとても気に入ってるよ。印象に残るでしょう? 可愛い名前と不釣り合いな、スリリングなボクシングスタイルで」。アメリカ西海岸のボクシング史を彩ってきた勇敢なラティノボクサーの系譜に連なりたい。お客を呼べるボクサーになって、母に家を買いたいという。そうやって家族を思いながら、いまもエルナンデス家で暮らすのは、彼らも大切な家族だから。「血縁なんて、関係ないと思わない?」、オラスクアガは言った。キャンプのたびに同じ屋根の下で生活する中谷も、彼にとって家族である。ベッドが足りなければ、自分がカウチに丸まってでもジュントにはベッドで休んでほしい。11月1日に向かう今回の中谷のキャンプは、プロ入り後最長の2ヵ月に及び、マネージャーライセンスを取得した実弟・龍人氏も初めて帯同。互いの言語を教え合い、笑いの絶えない時間をともにした。「今まで以上につながりが深まった。ジュントもリュウトも、最高にスイートハートだね」。
 そんな大好きな二人の応援に、今回初めて日本に行くという。コンニチワ、アリガトゴザイマス、ドイタシマシテ… 覚えたての日本語も試したいにちがいない。11月1日、さいたまスーパーアリーナで姿を見かけたら、“トニー”、“プリンセサ”と、ぜひ声をかけてほしい。屈託のない笑顔が返ってくるはずだ。

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