close

2022-11-08

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第12回「相撲界人情話」その4

平成19年6月7日、巡業地のハワイに到着した雅山。実は日本を出発する直前に最愛の母を亡くしていた

全ての画像を見る
残暑が厳しかったざわめきの夏も過ぎ、ようやくさわやかな秋が巡ってきました。草むらで鳴く虫の声や、梢を渡る風の音に耳を澄まし、もの思う季節の到来です。こんなときは、やはり心の襞(ひだ)に触れる話が似合います。勝負ひと筋に生きる力士たちですが、固い絆で結ばれた集団社会ならではの、思わず涙がこぼれる話、ジーンと胸を打つ話があちこちに転がっています。そんな大相撲人情話を拾い集めてみました。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

変わらぬ母への思い

平成19(2007)年6月、最愛の母・まさ美さんを見送った直後の名古屋場所。雅山(現二子山親方)は父がなくなって以降、しまい込んでいた若竹色の廻しを締めて土俵に上がった。

「この両親の思いのこもった廻しで、もう一回、気力を振りしぼって頑張ろうと思って。オヤジがなくなったときも、かなりキツかったですけど、正直言って今度はもっと辛い。でも、頑張って勝つことが母への何よりの供養だと思っています」

と雅山はその理由を明かした。また、初日から雅山が土俵に上がると、花道の奥でまさ美さんの遺影を抱いた付け人の姿が見られた。まさ美さんが愛し、声援を送り続けた息子が必死に闘っている姿を見せたい、という雅山の思いの表れだった。この付け人が遺影を抱いて花道に立つ姿はそれから1年間も続いた。

それから4年後。雅山はどういう心境だったのか。平成23年秋場所の支度部屋で聞いてみると、

「自分の(母を思う)気持ちは少しも変わりがありませんけど、人間、どこかでケジメをつけなくてはいけませんから。毎場所、千秋楽に姉が両親の写真を持って見に来てくれるんですよ。いまは、それで勘弁してもらっています」

と明るく答えてくれた。

当時、雅山は幕内生活74場所目。現役では4番目のベテランになっていた。

月刊『相撲』平成23年10月号掲載

PICK UP注目の記事

PICK UP注目の記事



RELATED関連する記事