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2022-12-13

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第13回「相撲界人情話(下)」その2

亡き父の墓に誓った大関昇進を果たした日馬富士(昇進を機に安馬から改名)。後列左から2人目は兄ラグバドルジさん、3人目は母ミャガマルスレンさん

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平成23年秋場所後、大関に昇進した琴奨菊(現秀ノ山親方)の口上には、小さい頃、相撲を教えてくれた祖父、一男さんへの思いを込めて「一」という字の入った『万里一空(ばんりいっくう)』という四字熟語が踊っていました。この口上に琴奨菊のあふれるような家族愛を感じ取ったファンも多かったはず。思わず涙がこぼれる話、胸を打つ話の底に流れているものも、やはりやけどしそうな熱い人間愛、絆なんですね。第12回に続いて大相撲界人情話です。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

亡き父への誓い

平成20(2008)年九州場所、日馬富士(当時安馬)は優勝決定戦で白鵬に敗れたものの、13勝2敗の好成績を挙げ、場所後、大関に昇進した。昇進後のさまざまな行事を引きずったまま冬巡業に参加し、沖縄の石垣市で打ち上げたのは12月20日のことだった。ようやくフリータイムがやってきたのだ。

といっても、初場所の番付発表が24日朝なので、正味はたった3日しかない。しかし、日馬富士はあえて母国のモンゴル行きを決めた。ちょうど1年前、日馬富士は、平成18年12月28日に交通事故のため、50歳の若さで亡くなった父親のダワーニャムさんのお墓に参り、

「大関になったら、また会いに来るよ。それまでは(稽古に打ち込まなければいけないので)来ない。絶対、大関になるので、待っていて」

と話しかけている。男の約束と言っていい。満願成就し、それを果たすための帰国だった。

「(大関昇進を)親に報告するのは当たり前のことじゃないか。親方には理解してもらった」

と日馬富士は言い残し、21日午後、機上の人となった。墓参りを済まし、モンゴルから再来日の途に着いたのは1日置いた23日午後。日本への直行便はなかったため、北京、香港と大きく迂回し、羽田空港に到着したのは翌24日の午前6時のことだった。夜通し、旅をしたことになる。

しかし、途中で部屋に電話を入れてこの日から朝稽古が始まることを知った日馬富士は、すぐさまタクシーに飛び乗り、1時間後の午前7時過ぎに部屋に到着。そのまま、廻しを締めて土俵に降りると、長旅の疲れも見せず、関脇の安美錦や十両の安壮富士らと25番の息詰まる申し合いを繰り広げた。殺人的スケジュールで体はクタクタに疲れ切っていたはずだが、父親との1年前の約束を果たし、心の中はおそらくすっきり、爽やかだったのに違いない。

月刊『相撲』平成23年11月号掲載

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