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2022-12-20

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第13回「相撲界人情話(下)」その3

平成5年名古屋場所後、曙はハワイでの父の葬儀から1日でとんぼ返りし、7月26日からの夏巡業に参加。仙台場所初日となった27日、横綱谷風像の前で土俵入りした

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平成23年秋場所後、大関に昇進した琴奨菊(現秀ノ山親方)の口上には、小さい頃、相撲を教えてくれた祖父、一男さんへの思いを込めて「一」という字の入った『万里一空(ばんりいっくう)』という四字熟語が踊っていました。この口上に琴奨菊のあふれるような家族愛を感じ取ったファンも多かったはず。思わず涙がこぼれる話、胸を打つ話の底に流れているものも、やはりやけどしそうな熱い人間愛、絆なんですね。第12回に続いて大相撲界人情話です。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

悲しみを乗り越え

力士は、昔から親の死に目にあえない因果な商売、とされている。

平成5(1993)年名古屋場所は、曙、貴乃花、若乃花という超人気の同期生3人による優勝決定戦にもつれ込み、テレビの瞬間視聴率も66.7%を記録するという大変な盛り上がりをみせた。

この世紀の巴戦を制したのは曙。それから4日後の7月21日の朝、曙のもとに思いもしなかった悲報が飛び込んだ。ハワイで入院中だった父親のランドルフさんが心不全で亡くなったのだ。53歳だった。

すでに場所は終わり、力士たちは休養期間中。すぐさま飛んで行きたいところだったが、曙はそうはいかなかった。なにしろ日本中を沸かせた大熱闘の覇者。場所後はあちこちから引っ張りだこで、翌23日も福井県鯖江市で土俵入りの予定が入っていたのだ。

「約束したことを守るのが横綱の務め。親が死んだからって、断るワケにはいかない」

こう自分に言い聞かし、涙をこらえて辛いスケジュールをこなした曙は、土俵入りを終えると石川県の小松空港に駆け込み、成田と乗り継いでようやくハワイに帰郷。

「今日だけは泣かせて」

とランドルフさんの棺にすがって号泣した。ただ、いつまでも悲しんでばかりはいられない。26日には夏巡業が待っていたのだ。あわただしく葬儀を済ませ、1泊3日の強行軍で25日午後、成田に戻ってきた曙は、詰めかけた報道陣にこう答えた。

「疲れ? 大丈夫。父のためにも、これからも横綱の誇りと責任を持って生きていきたい」

悲しみ、不幸は力士を一回り成長させる。曙はこのあと、自己初の3連覇を達成している。

月刊『相撲』平成23年11月号掲載

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