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2022-12-27

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第13回「相撲界人情話(下)」その4

平成22年秋場所千秋楽にて引退会見。涙をこらえて、現役時代の思い出を語る岩木山

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平成23年秋場所後、大関に昇進した琴奨菊(現秀ノ山親方)の口上には、小さい頃、相撲を教えてくれた祖父、一男さんへの思いを込めて「一」という字の入った『万里一空(ばんりいっくう)』という四字熟語が踊っていました。この口上に琴奨菊のあふれるような家族愛を感じ取ったファンも多かったはず。思わず涙がこぼれる話、胸を打つ話の底に流れているものも、やはりやけどしそうな熱い人間愛、絆なんですね。第12回に続いて大相撲界人情話です。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

供養の土俵人生

入門するまでのいきさつは人さまざま。青森大を卒業して青森山田高の職員になっていた岩木山(元小結、現関ノ戸親方)が幕下付け出しでデビューしたのは平成12(2000)年名古屋場所だった。

そのおよそ半年前の2月12日、小3のときから一緒に相撲をやり、弘前実業高でも同級生だった松田広志さんが交通事故で亡くなった。まだこれから、という24歳だった。なんでも話せる友を失った岩木山のショックは大きく、

「自分はこれからどう生きればいいのか」

と悩み、

「志半ばで逝った彼のためにも、最高の舞台で相撲を取ることが一番の供養になるのではないか」

と一度は諦めたプロへの思いがふつふつと蘇ってきた。それから2カ月後の4月、たまたま青森空港で郷土のヒーローで、すでに引退してNHKの解説者になっていた舞の海さん(元小結)とバッタリ会い、思いのたけを打ち明けた。

実は、舞の海さんも、プロ入りのきっかけとなったのが将来、横綱間違いなし、と言われていた大物後輩の早すぎる死だった。岩木山は最も適した人を相談相手に選んだことになる。岩木山の思いを真正面から受け止めた舞の海さんは、すぐさま日大の先輩の中立親方(現境川親方、元小結両国)が率いる中立部屋を紹介。岩木山は6月、脱サラして入門した。

それから10年、平成22年4月、小脳梗塞が見つかり、夏場所から3場所連続して休場して様子をみたものの、

「180キロ前後あった体重が150キロを切ってしまい、いまから体を動かして復帰に努めても、土俵に上がるまで半年以上かかる」

と分かり、秋場所限りの引退を決意した。不完全燃焼の幕切れだったが、

「入門しても、年に一回、(松田さんは)夢の中に出てきていたんですけどね。十両2場所目(平成14年夏場所)に優勝してから出てこなくなったんですよ。きっと(自分の気持ちを)分かってくれたんじゃないですか」

と、引退会見で岩木山は笑みを浮かべた。

月刊『相撲』平成23年11月号掲載

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