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2023-01-31

【連載 泣き笑いどすこい劇場】第14回「廻しにまつわる話」その1

平成17年春場所、金色の廻しを締めた朝青龍は、7日目、この廻しに初めて手をかけた出島を荒々しくたたきつけた

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力士が土俵に上がるとき、唯一、身につけることを許されているのが廻しです。
幕下以下は木綿製の黒廻し、十両以上は絹の繻子で色もカラフル、と地位によって違ってきますが、言わば、晴れの衣装ですね。
それだけに、力士たちの廻しに込める思いや、こだわりも十人十色。力士たちは廻しを締めて数々のドラマを演じてきました。
今回は廻しにまつわるエピソードを集めました。
※月刊『相撲』平成22年11月号から連載された「泣き笑いどすこい劇場」を一部編集。毎週火曜日に公開します。

禁断の金色

相撲協会の規定で、廻しの色は黒か紺と決まっているが、最近は実にカラフル。まだお目にかかってないのは、縞模様ぐらいのものか。そんな多種多様な廻しの中で、力士たちが意外に手を出すのを躊躇するのが金色の廻し。あまりにもハデで、華やかすぎるからだ。

怖いもの知らずだった横綱朝青龍が初めてこの禁断の金色の廻しを締めて土俵に登場したのは、横綱になって13場所目の平成17(2005)年春場所のことだった。この前年の九州場所前、廻しを新調することにした朝青龍は色見本帳を片手に、日本のお父さんと慕っていた特等床山の床寿に、

「何色がいいですかね」

と相談した。すると床寿は、

「金は天下を取った者が使う帝王の色。豊臣秀吉も、金の茶室とか、金の茶釜を愛用した。横綱も(大相撲界で)天下を取ったんだから、これがいいんじゃないの」

と金色を推薦。大いにプライドをくすぐられた朝青龍は、

「よし、それじゃ、金色にしよう」

と決断し、発注したのだ。

しかし、次の場所前に出来上がってくると、やはり想像していた以上に目立ち過ぎた。そのため、初場所は気恥ずかしがって使用しなかったが、その場所、全勝で優勝回数を二ケタの「10」に乗せたことで、ようやく次の春場所から使用する決心がついた。

朝青龍の金色の廻しのデビューぶりは、その輝きぶりに負けないぐらいハデだった。6日目まで一方的な取り口で誰にも廻しに指一本、触らせなかったのだ。この間の勝負タイムの合計がたった25秒。初めてこのピカピカの廻しに触ったのは7日目の出島(現大鳴戸親方)で、右四つ、右で手つかずの下手をつかんだのもつかの間。左上手から力任せに引き落とされて左の肩と脇腹を強打し、病院で治療を受けている。ただでは触らせなかったのだ。

しかし、13日目、大関栃東(現玉ノ井親方)に取り直しの末、寄り倒されて、初場所初日からの連勝が「27」で途切れると、朝青龍はこの金色の廻しをあっさりと“お蔵入り”にして再び先場所まで締めていた黒の廻しで登場し、翌14日目、魁皇(現浅香山親方)を破って3場所連続11回目の優勝を決めた。

「どうして廻しを変えた?」

という報道陣の質問に朝青龍は、こう答えている。

「気合だよ」

この辺の感覚は天才肌でないと分からない。

月刊『相撲』平成23年12月号掲載

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