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2023-02-03

【アメフト】オービックWR木下典明が現役引退 NFLに最も近づいた「日本のGOAT」 

宿敵・富士通との一戦で、DBアディヤミに競り勝ってTDパスをキャッチするオービックWR木下典明=2013年12月のジャパンXボウルで、撮影:小座野容斉

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日本アメリカンフットボール史上最高のWR(ワイドレシーバー)で、世界最高峰のNFLに最も近づいた男、木下典明(オービック シーガルズ)が、2月3日、引退を発表した。自身のSNSで明らかにした。
 日本の「GOAT(the Greatest Of All Time)」木下は、立命館大学で甲子園ボウル3連覇、その後、プロ選手として、NFLEアドミラルズで2年連続最優秀リターナーとなり、NFLアトランタ・ファルコンズでは、プレシーズンゲームに最後まで出場した。オービック シーガルズでは、オフェンスの支柱として3年連続で日本一に貢献。そして日本代表では主将を務めた。昨シーズンは、負傷から復帰して2シーズンぶりのTD(タッチダウン)も決めたが、チームはライスボウルトーナメント準決勝で敗れていた。

 昨年の暮れに40歳となった木下は、2月3日夜、以下の文章を、Facebook、Twitterなど自身のSNSにアップした。
「2022年シーズンをもちまして、35年間続けたアメリカンフットボールの選手を引退いたします。
オービックシーガルズ在籍12年間
 色々な方と出会い、色々な経験をさせて頂きました。
木下典明の人生全てがアメリカンフットボールです。
 今後も自分の経験を色々な場所に広げて行きたいと思います。」

NFLEで2年連続最優秀リターナー

 木下は1982年12月29日生まれ。小学校時代から大阪の「池田ワイルドボアーズ」でフットボールを始めた。大阪産業大学附属高では高2、3年時に2年連続で全国高校選手権・クリスマスボウル優勝。立命館大学入学後は、大学2~4年の2002~4年シーズンにかけて甲子園ボウル3連覇、うち大学2,3年時は日本選手権・ライスボウルも連覇した。
 
2005年1月のライスボウルで松下電工(現パナソニック)と対戦した立命大の木下典明=撮影:小座野容斉
 卒業後は、日本人初のNFLプレーヤーを目指して、当時存在した欧州の下位リーグ、NFLEのアムステルダム・アドミラルズに入団。2006,2007年にはパント、キックオフ双方のリターナーとして、2年連続ポジション別MVPを受賞した。

 2007年のNFLキャンプ前に、アトランタ・ファルコンズと2年契約を結んで、サマーキャンプにフル参加。プレシーズンゲームにも4試合出場したが、シーズン入り前のロースターカットで生き残れず、NFLのシーズンロースター登録はならなかった。
2007年、NFLファルコンズで、キャンプにフル帯同し、プレシーズンゲームも最後まで出場した木下典明=撮影:小座野容斉
 その後もNFLへの挑戦を続ける一方で、新興プロリーグUFLのドラフトでは1巡指名を受けるなど、北米以外のフットボール選手としては、実力が知れ渡っていた。
 
 2011年、29歳になる年に、Xリーグのオービックに加入。直ぐにエースWRとなり、QB菅原俊、龍村学らのパスを捕球すると同時に、リターナーとしても、大試合でビッグプレーを連発した。
 
  加入したのがライスボウル2連覇目のシーズン、そこから日本一を3年連続で連続で経験した。

 個人としては2011年新人賞(中地区)、ジャパンXボウルMVP、2012年MVP(中地区)。オールXリーグ6回(WR3回、リターナー3回)。春の東日本選手権・パールボウルでは3回のMVPに輝いた。

 Xリーグでの通算成績は、総獲得ヤード7108、TD51でいずれもオービック史上2位。パスレシーブで4251ヤード44TD、キックオフ・パントのリターンでは2748ヤード6TDを記録した。

 スタッツ以上に、ここぞという場面での活躍が目立った。特に対戦相手に優れた米国人選手がいると木下は人一倍燃えた。

 2013年のリーグ戦、IBMとの対戦では、4TDパスレシーブの活躍で、味方のQB龍村が42-41でIBMのQBケビン・クラフトとの投げ合いを制する原動力となった。同年のジャパンXボウル、富士通戦では、オールX選出の富士通DBアルリワン・アディヤミにマンツーマンで競り勝ってTDパスをレシーブした。

 2014年秋の宿敵・富士通との対戦では98ヤードキックオフリターンTD、2017年のパナソニック戦では90ヤードリターンでTDを決めた。
パナソニック戦で90ヤードのリターンTDを決めるオービックWR木下典明=2017年10月、撮影:小座野容斉
 日本代表には、2009年のノートルダムジャパンボウルを皮切りに、5回選出された。IFAF(国際アメリカンフットボール連盟)主催の世界選手権には、2011年、2015年と2回出場。2015年の日本代表では主将を務めた。

 一般社団法人 Japan American football Dream(JAD)代表理事としてとして、アメリカンフットボールの普及にも熱心に取り組んでいる。

2015年の世界選手権では、日本大ひょの主将も務めた木下典明=2017年10月、撮影:小座野容斉

常に「自分が最高である」と自覚、プレーで結果出し続け

 2020年秋、新型コロナ感染症で大幅に短縮されたシーズン。木下は11月のパナソニック戦で負傷した。負傷の度合いは思いのほか深刻で、復帰まで相当の時間を要した。12月のジャパンXボウルで、富士通を破って日本一の座を奪還した時は、サイドラインで仲間たちの戦いを見守った。

 Xリーグでは、木下の負傷よりも先に、ディアーズの前田直輝、シルバースターの林雄太と、ベテランのエースWR2人が重傷を負っていた。2人とも、直ぐに木下から連絡があり、「戻ってこいよ」と激励されたという。2015年の世界選手権で、アメリカに抗した「戦友同士」の紐帯でもあった。

 その当の木下が負傷からの回復に苦しんだ。

 木下が、2年近くかけてようやく戻った時、オービックのQBは、ポジション経験が浅く、シーズンに入ってもまだ育成途上というジェイソン・スミスだった。10月のアサヒ飲料戦。スミスは、木下に41ヤードのTDパスを決めた。負傷以来のTDパスレシーブ。笑顔の木下に、中村輝晃クラーク、西村有斗らが走り寄った。
 だが、結局、それが現役最後のTDとなった。
2022年のアサヒ飲料電で、負傷以来のTDパスをレシーブし、笑顔の木下典明=撮影:小座野容斉

 12月11日のセミファイナル、パナソニック戦。オービックはQBスミスを負傷のため前半で欠き、後半は一方的な展開となった。

 20点のビハインドで迎えた、オービック最後のオフェンス。右のワイドアウトのポジションに入ろうとする直前、木下は後方を振り返った。数秒しかない残り時間を確認したのかもしれない。

 だが、これが木下の現役選手として最後のプレーだとわかっていた筆者には、木下が沈みゆく太陽を振り返ったような気がしてならなかった。

現役最後のプレーの直前、後方を振り返った木下典明=2022年12月11日、撮影:小座野容斉
 冒頭で、日本フットボール史上最高のWRと書いた。だが、あえて書けば、少なくとも私が撮影してきた中では、日本フットボール史上最高の選手だった。NFLで、QBトム・ブレイディがGOATと呼ばれるように、木下も日本のGOATだった。

 常に、「自分が最高である」という自覚を強く持って、試合の中で、プレーの中で、結果を出した。所属するチームを、そのファンを、あるいは他チームの選手たちをも、刺激し、鼓舞し続けた。

 木下を継いで、そして超える選手が現れなければいけないし、きっと現れる。そう信じてやまない。

2015年の世界選手権では、日本代表主将も務めた木下典明。2位に終わり、笑顔は無かった。左は金氏眞・IFAF副会長=2017年10月、撮影:小座野容斉

【小座野容斉】

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