5月18日(土)、東京・墨田区総合体育館でサウスポーの元日本スーパーフライ級王者、中川健太(33歳/16勝11KO3敗1分/三迫)が復帰戦を行う。昨年3月の勝利以来、1年2ヵ月ぶりとなるリング。この間、さまざまな葛藤を越え、ジムを移籍して現役続行を決めたのは、自分からベルトを奪った船井龍一(ワタナベ)の存在が大きかった。
2017年6月には、当時日本王者の船井(右)の初防衛戦に向け、スパーリングパートナーを務めたこともある。5月4日(日本時間5日)、アメリカで世界初挑戦を迎える船井には「悔しさが9割」。その悔しさが中川を突き動かす。《2017年6月28日撮影》
元日本チャンピオンという肩書きには、どこか引っかかりを覚えるのだという。
「もちろん、立派な王座奪取だったと自負はしてるんですよ。でも、今でも元チャンピオンと言われると、自分の中ですっきりしないところがあって。防衛できなかったのもあるし、結局は、あいつに負けたので」
中川と船井は2004年に閉校した都立港工業高校の同級生で、一緒にボクシング部をつくった仲間。2017年3月22日に実現した“親友対決”は、船井の7回KO勝ちで幕を閉じた。中川から王座を奪った船井は、2度の防衛に成功後、ベルトを返上。2018年のWBOアジアパシフィック王座奪取、IBF挑戦者決定戦の勝利を経て、この5月4日(日本時間5日)、アメリカでIBF世界スーパーフライ級王者のジェルウィン・アンカハス(フィリピン)に挑戦する。
「まさに勝者と敗者のコントラストですよね。俺が思い描いていた未来を船井が進んで」
明暗を分けることになった、ふたりの対戦までには紆余曲折があった。
2016年4月16日、中川は落ち着かない心地で、SNSがリアルタイムで発信する速報を見つめていた。大阪で船井が当時の日本スーパーフライ級王者、石田匠(井岡)に挑んだ一戦。船井が30歳で迎える3年7ヵ月ぶり2度目のタイトル挑戦に、どういう気持ちで臨んでいるかは、わかりすぎるほど理解していた。
「あんな気持ち、なかなか誰にも経験できないと思いますね。あいつが負けたら、恐らく石田は返上する。で、俺が決定戦に出れる。でも、あいつには勝ってほしい。途中採点で負けと出たときには、ドキドキしてきて。俺は喜んでるのか、それとも焦ってるのか、どっちなのか……。本当に変な気持ちで。結果が出て、あいつが負けたのを知ったとき、俺、泣いちゃいましたからね。ぼろぼろ泣いたわけじゃないですよ。涙がちょっと出てきて」
試合からほどなく、中川は指名挑戦者に認定され、日本スーパーフライ級1位にランク。中川が予想したとおり、世界4団体でランク入りしていた石田は王座を返上。その時点で3位につけていたのが船井だった。当時2位の翁長吾央(大橋=引退)は東洋太平洋王座挑戦が決まっており、決定戦出場の優先権はランク上位の中川と船井にあった。
だが、船井は当時4位につけていたジムの後輩、木村隼人にチャンスを譲り、決定戦出場を回避。これも「もともと、お互いにやりたくないというのがあって。で、船井が引いて、結果的に(対戦を)避けられて。俺の思ってたとおりになったな」と、予想どおりだった。
2016年10月6日、中川は木村との接戦を2−1の判定で制し、初のタイトル挑戦でベルトを巻く。試合後、船井は1位に上がり、指名挑戦者となった。王座決定戦で誕生した新王者は、初防衛戦で最上位挑戦者を迎えるのがルール。年明けから開幕するチャンピオンカーニバルは、日本王者と最強挑戦者の激突を売り物にする日本プロボクシング協会の恒例イベントである。個人の思いではどうしようもないところで、ふたりの対戦は避けられないものになった。
敗れた中川に残されたのは「あいつにチャンピオンにしてもらった」という複雑な思いだった。
「強い木村選手に勝って、チャンピオンになったことは誇りなんですよ。でも、“if”ですか……。決定戦で船井と拳を交える道もあったわけじゃないですか。そっちだったら、俺はチャンピオンにはなれずじまいで終わってたんじゃないかって。その気持ちは今も変わらないですね」
自分の人生に大きな影響を与えた人物——。そう船井を表現する。高校卒業後、19歳のプロデビューから3戦(2勝1敗)したものの、一度はリングを去った。就職し、ボクシングに戻るつもりはなかった中川のきっかけになったのも船井だった。
2ヵ月遅れでデビューしていた船井がA級(8回戦)に昇格したことを人づてに聞き、試合を観に行く。結果は右ストレートで対戦相手を吹っ飛ばし、船井の2回TKO勝ち。衝撃を受けた。
「『あんなジャブ打ってたっけ、あんなにパンチ強かったっけ』って。たくましくなって、プロボクサーになってましたね」
船井の試合を見るのは高校以来。プロでは初めてのことだった。別々のジムで練習し、アマチュアの試合に出ていた高校時代はまだまだ体ができておらず、体つきも細かった。見違えるような姿を見て、「尊敬しましたし、俺も」と火がついた。
実に6年ぶりとなる復帰戦には敗れたが、それから引き分けを挟んで11連勝。そのうち7連続を含む9KOと、中川は“倒し屋”ぶりを発揮する。5年半ぶりに敗れたのが船井だった。船井の初防衛戦の相手が現在の日本スーパーフライ級王者でサウスポーの奥本貴之(グリーンツダ)に決まったときは、初めてスパーリングもし、その力を再び味わった。
「高校のころを考えたら、今の姿はまったく想像できないですね。まさかと思いますよ。でも今は、船井のこの活躍は想像できたことですし、ここまで来ると思ってました」
船井がここまで来れたのは「環境もあるんじゃないですかね?」と言う。「ワタナベジムで強い選手たちに揉まれて、刺激を受けて。たとえば、内山高志さんをずっと見てきたわけじゃないですか。言い訳ですかね?」と中川が笑うのは、言い訳のできない環境に身を置いているからである。
3月1日付けで正式に移籍した三迫ジムでは、中量級で世界挑戦経験のある小原佳太、日本ライト級王者の吉野修一郎がいて、1月、2月と自分より年長の堀川謙一、田中教仁が相次いで日本王者となった。あとに続く選手たちも切磋琢磨している。練習拠点にしているWBC世界ライトフライ級王者の拳四朗(BMB)ともスパーリングをした。ジムでは、自分の肩書きなど忘れる。
「初心に返れるし、充実してますけど、自信を失うこともありますね。やっぱり、俺は全然強くないんじゃないかって」
だからこそ、強くなれると日々、実感する。だからこそ、今までにないプレッシャーも感じる。復帰戦の対戦相手は10歳下の那須亮祐(23歳/10勝2KO4敗3分)。元チャンピオンを食ってやろうと、強い気持ちで挑んでくるはずである。
「この環境に応えて、ジムに恩を返すためにも『強くなったな』と思われる試合をしないといけない。勝負の世界なんで、思いどおりにいかないかもしれないけど、気持ちが伝わる試合をしたいですね」
世界に挑む船井に対しては「正直、9割は悔しい」という。残り1割の半分は「ボクサーとしての敬意」であり、もう半分は「友人として、頑張れよ」という気持ち。「いちばんの友人だからこそ、悔しいですし、これが9割、船井頑張れ、だったら、現役ではやってないですよ」と笑った。
「まだ大きなことは言えない」が、目指すのはもう一度、チャンピオンの証明を果たすこと。「はるか彼方には、もちろん船井へのリベンジの気持ちもある」。
船井から受け取ったものもある。チャンピオンカーニバルの発表会見、前日計量で顔を合わせたときには「いつもの船井龍一」がいたが、リングで向かい合ったのは「見たことのない船井龍一」だった。
「もう『俺、こいつのこと知らない』っていうぐらい別人で。めちゃくちゃ心拍数が上がったし、危機感を感じて。『ヤバい、ヤバい』と思ってるうちにゴングが鳴った感じでした。船井からは完全に人生賭けてる空気が出ていて、俺は甘かったなって」
年齢的にも「次で終わってもおかしくない立場」と承知している。「言葉は悪いですけど、相手を殺してでも上に行く、それぐらいの気持ちを持たないといけない」と決意を込めた。
「船井とは、ジジイになっても仲が良いと思うんですよ。このままだと俺は、ずっと負けたほうの中川で。それを覆せるか、覆せないかは誰にもわからないじゃないですか。やらなかった後悔だけはしたくなかったので」
“親友対決”から2年2ヵ月——。それぞれのリングに立つ。
文・写真◎船橋真二郎
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