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2023-03-02

26歳で転機「楽しいだけじゃ生きてはいけない。引退しようと思った」ジュリア物語3【週刊プロレス】

2019年5月25日、アイスリボン大阪大会で雪妃真矢のICE×∞王座に挑戦したが…

現在ワールド・オブ・スターダム王者として女子プロレス界の頂点に君臨しているスターダムのジュリア。2017年10月29日、プロレスラーとしてデビューし、キャリア5年と少し。その時間はあまりに濃密であり、波乱万丈という言葉でも足りないほどさまざまな経験を積んできた。そんなジュリアのデビューから丸5年間の濃密過ぎる日々の記憶をB.B.MOOK「ジュリアお騒がせ症候群」のインタビューから抜粋してお届けしていく。第3回は紫雷美央コーチによって意識改革を遂げて、プロレスが好きになった後の話。


――試合で影響を受けた選手は?

ジュリア 山下りな、Sareee、安納サオリ…他団体ですけどこの3人とあの時、試合できたのは自分にとってすごくプラスになりました。デビュー1年ちょっとで。先輩だからって気をつかうな、なにやってもいいよ、全部受けとめてやるからって姿勢だったのがこの3人。「私もこうなりたい」「カッコいいな」って素直に思ったのを覚えてます。あとアジャコングさんはまだ試合がまともにできてない時期、心を折られたんです。でもあの経験はあってよかった。本当に怖くて大きくて強くて岩のようなひと。いつかこういうひとも倒さないといけないんだって。

――そういうひともいる世界だと。

ジュリア すごくデカいというか、カッコいいって思う先輩ってなにやってもいいよってスタイル。そこはいまの自分のプロレスに影響をすごく与えられてると思います。そのあとプロレス人生で初めて欠場して、2カ月休みました。欠場ってネガティブにとらえられがちだけど、私はそのときプロになって初めて興行全体を客観的にとらえられました、プロ目線で。このなかで自分はどうしたらいいか、自分に何が必要でなにがいらないとか。いまのアイスリボンに足りないのはどんな選手、どんな刺激とか、いろんなことが客観的に見えた。それがあって復帰後にすごいよくなったと言われたんです。そのきっかけになったのが欠場。それがあったあとの「格闘代理戦争」です。あれはやってよかった、黒歴史と言われてますけど(笑)。

――あれはABEMAで配信されている格闘技番組です。ジュリア選手はキャリア1年で総合格闘技の試合にチャレンジしました。

ジュリア よかった点は2つあって。まず総合格闘技の技術を学べたこと。もうひとつは鈴木秀樹さんと知り合えたこと。あの企画は秀樹さんからいただいたお仕事で、やるひとがいないから、「私やります!」って手を挙げて、練習して、金網で闘って、顔はあざだらけになって。メッチャ悔しくて、あのあと必死に道場通って総合格闘技を学んだ。今後やるかはおいといて、自分のレベルアップがあれきっかけでできた。闘いとはこういうものと理屈でちゃんと考えられるようになったので。秀樹さんがあのとき言ったのは「ジュリアははぐれてるな」って(苦笑)。それってふつうの人が聞いたらディスられてる感じですけど、私は「私の理解者かもしれない」と思って。

――共感できた?

ジュリア もっといろいろ話してみたいと思って。プロレスに対する考え方とか、そのあたりはひねくれ者の秀樹さんのエッセンスがすごく混ざってると思います(笑)。

――結果、本当にアイスリボンからはぐれることになりましたね。

ジュリア はい(笑)。はぐれた結果、移籍につながった。あのころは正直もういいかなって気持ちはちょっとあって。理由はいろいろあるんです。プロレスを好きになってきたし、すごく楽しくなってきたけど、26歳だったのかな。二十歳くらいで自分が考えた人生の設計図としては楽しいだけじゃ生きてはいけないとかいろいろ考えていて、引退しようと思ってしまったんです。
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