【Vol.1はこちらから】田中希実。日本女子中距離界に衝撃を与え続けている小柄な女王。その専属コーチは実父・田中健智である。指導者としての実績もなかった男が、従来のシステムにとらわれず「世界に近づくためにはどうしたらいいか」を考え続けてきた。そんな父娘の共闘の記憶を、田中健智の著書『共闘』から抜粋しお届けする短期連載。
前回の『【連載】田中希実の父親が明かす“共闘”の真実 Vol.5 4歳当時の仰天エピソード』を読む第6回目は、田中希実が同志社大学に入学した2018年、いよいよ父・健智が娘のコーチに就いた経緯を本人が明かす。
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2018年春、希実は同志社大学スポーツ健康科学部に入学。同時に、尼崎市を拠点とする「ND28AC(アスレチッククラブ)」としての活動を始めた。西脇工業から尼崎市の神崎工業に異動された前田先生が指導を引き受けてくださり、希実、後藤夢、今枝紗弥の3人で結成されたクラブチームだ。希実は初めて親元を離れ、練習拠点とする尼崎市で一人暮らしを始め、信頼する前田先生のもとで、新たなスタートを切った。
ただ、数か月が経った頃、彼女は活動の方向性について悩み始めたようだった。というのも、前田先生は教職という本業の傍ら、ボランティアのような形で指導を担っており、西脇工業の頃のようにすべての練習を見るのは難しい状況だった。週に1、2回しか来られないことや、合宿に選手だけで行くこともあり、実家に帰ってきた彼女から「このままでいいのだろうか」と何度か相談されていたのだ。
中学、高校と私からメンタル的なアドバイスをすることはあっても、練習内容やレースプランは顧問の先生に一任していて、希実から競技について深刻な相談をされることはあまりなかった。こうして私に悩みを打ち明けたということは、彼女自身、かなり行き詰まっていたのだろう。その年の夏、U20世界選手権3000メートルで金メダルを獲り、周りからは順調にステップアップしているように見えたかもしれない。しかし、本人は「たまたま今までの力が出せただけ」と捉えていて、現状に閉塞感を抱いていたようだった。
そして2018年12月の暮れのこと。沖縄の合宿から戻ってきた彼女に「コーチを引き受けてくれないか」と言われたのだ。
初めは戸惑いもあったものの、年明けから彼女の練習を見るようになり、まずは本人が狙う世界クロカンの代表選考レース、福岡クロカンに向けたトレーニングが始まった。とはいえ、私は妻の練習パートナーを務めながら、元々のコーチの指導方針を受け継ぎ、自己流のエッセンスを加えて練習メニューを立てていただけ。子どもや大人向けの練習会で教えたことはあっても、世界を狙うような競技者を指導するノウハウは持ち合わせていなかった。
自分はあくまで「臨時」のコーチ。この先も何とか前田先生に指導してもらえないかと模索していた。というのも、このクラブチームは彼女の意向に沿って、各方面の尽力の上に実現したものだ。できるなら最後までしっかりまっとうしてほしいとの思いがあった。前田先生が来られない時だけ自分がサポートするから、続けてもらえないだろうか…。年明けから数か月かけ、色々と調整を図ってはみたものの、やはり教職との兼ね合いもあり、このままクラブチームを存続するのは難しいとの結論に至った。いよいよ本格的に私がコーチを担わざるを得ない状況になったのだ。
正直なところ、希実のコーチングは初めから前向きに引き受けたわけではない。親子だからこその難しさもあるだろうし、自分がどこまで彼女を導けるのだろうかとの不安もあった。だが、コーチを務めるとなったからには、本人が望むまで、彼女の目指す場所にたどり着くための「手伝い」をしていこうと思ったのだ。
【田中希実の父親が明かす“共闘”の真実 Vol.7に続く】
<田中健智・著『共闘セオリーを覆す父と娘のコーチング論』第2章-父親として、コーチとして-より一部抜粋>
2018年のU20世界選手権で田中希実は3000mで金メダルに輝いた。この年の暮れに本人から直接、父・健智にコーチ就任を依頼された(Photo:Getty Images)田中健智
たなか・かつとし●1970年11月19日、兵庫県生まれ。三木東高―川崎重工。現役時代は中・長距離選手として活躍し、96年限りで現役引退。2001年までトクセン工業で妻・千洋(97、03年北海道マラソン優勝)のコーチ兼練習パートナーを務めた後、ランニング関連会社に勤務しイベント運営やICチップを使った記録計測に携わり、その傍ら妻のコーチを継続、06年にATHTRACK株式会社の前身であるAthle-C(アスレック)を立ち上げ独立。陸上関連のイベントの企画・運営、ランニング教室などを行い、現在も「走る楽しさ」を伝えている。19年豊田自動織機TCのコーチ就任で長女・希実や、後藤夢の指導に当たる。希実は1000、1500、3000、5000mなど、数々の日本記録を持つ女子中距離界のエースに成長。21年東京五輪女子1500mで日本人初の決勝進出を果たし8位入賞を成し遂げている。23年4月よりプロ転向した希実[NewBalance]の専属コーチとして、世界選手権、ダイヤモンドリーグといった世界最高峰の舞台で活躍する娘を独自のコーチングで指導に当たっている。
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