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2018-08-11

アニマル浜口の教えを胸に… 根性の悪童・橋本和樹の勝負

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荒れた学生生活を浜口会長が変え

大日本・橋本和樹

 大日本プロレス恒例の「最侠タッグリーグ戦」が8・12後楽園で開幕するが、そのメインイベントに据えられたのはBJW認定ジュニアヘビー級選手権試合だった。王者の666・忍に“アニマル浜口の弟子”橋本和樹が挑戦する。

 和樹は09年デビューで、キャリア9年の28歳。学生時代は家族のことで悩み、次第に“ワル”になっていった過去がある。中学1年生の時には担任から「クズは一生クズのままだから」と言われ、ますます“オトナ”を敵視した。だが、一念発起してプロレスラーを目指し始めると、高校1年から浅草にある“浜口道場”に通い始める。言わずと知れたアニマル浜口会長が主宰する、レスラー養成の道場だ。そこで浜口会長と出会ったことで、和樹の人生は変わった。平たく言えば“更生”したのだろう。浜口会長のオーラ、人間性に惹かれ、より真剣にレスラーになろうと思えた。

 週6で浜口ジムに通う日常が始まり、ガンガン鍛えた。もちろん学校にも行っていたから、授業が終わってから1時間ほどかけて自転車でジムに行き、また1時間かけて自宅に帰る。そんなサイクルの毎日が、延々と続くこととなった。のちに大日本に入門した時、和樹の基礎体力は群を抜いていたというが、すべては高校1年から始めた鍛錬の賜物だったのだ。

「僕の人間形成のなかで、あの人から教わったものは大きいんです。ありふれた言い方ですけど“心の師”というか、人間として本当に尊敬できる人。テレビとかで見る、あの面白くてユーモアのあるキャラクターがみなさんのイメージにあると思うんですけど、本当に裏表がない。普通にああいう感じの人で、だからこそ周りが一気に明るくなる」(和樹)

レスラー人生の転機、大日本にジュニア創設

 浜口会長に“人間”を変えられた和樹。大日本でデビューしてからも自団体のみならずZERO1、NOAH、全日本など他団体にも出撃。とくにZERO1・佐藤耕平との強烈な打撃戦…エルボー、キック、頭突きを思いっきりブチ込み合う闘いは名物となっていった。

 だが、そんな和樹に転機が訪れたのが2016年2月。全日本のシングルリーグ戦「Jr.BATTLE OF GLORY」に出場したが、左腕尺骨骨折のケガを負う。手術を受け、初めての長期欠場を経験。ここで和樹は肉体改造に着手した。当時の大日本にはジュニアヘビーのカテゴリーはなく、和樹も大きな選手に対抗するべく、ヘビー級に近い体重があった。だが、欠場を機に大変身。同年8月に復帰したさいは、体重を80キロにまで落とし、いわゆる“かっこいいカラダ”を誇るレスラーに変貌した。

 この転身を機に、和樹は翌2017年に大日本に入団した吉野達彦とともに、団体にジュニアヘビー級を設立。BJW認定ジュニアヘビーも新設され、初代王者決定リーグ戦では決勝に勝ち上がった和樹だったが、そこで立ちはだかったのが忍だった。同年7月、両国国技館における初代王者決定戦で和樹は忍に敗北。結果的にジュニア創設の“提唱者”ながら王座戴冠はならず、結果的に忍は現在も同王座を保持。忍は他団体ながら大日本に古くからレギュラー参戦しており“流出感”は薄いものの、いまだ所属にベルトを明け渡すことなく、またファイト内容もひじょうに強さを感じさせるタイトルマッチを続けたうえで、すでに6度の防衛に成功している。

王者の忍。BJW認定ジュニアを6度防衛中

 そんな忍に和樹は今年1月にも挑戦しているのだが、そこでも敗れた。今回は忍への挑戦者決定トーナメントを制してのチャレンジ決定。いわば“三度目の正直”であり、負けは許されない。

「気持ち的には一番追い込まれていますし、嫌な緊張感はありますね。両国の時は“もう一歩”という感覚があったけど、前回の1月の時は(ベルトに)手がかかったと思ったら、じつはもっと先に階段があったという感じ。(王者は)僕が見てても対戦相手として怖い。ただ、それって忍の評価は上がっているけど、大日本ジュニアの評価は上がってないんですよね。大日本のジュニアはすごい、という評価じゃなく、忍がすごいという。結果、忍しか株が上がってない。そういう状況は打破しなきゃいけない」(和樹)

強烈なエルボーを忍に見舞う和樹だが、1月は王者に敗北

“師匠”から得たものをすべて…

 他団体では聖地・後楽園ホールでメインを張った経験のある和樹だが、意外にも自団体・大日本では8・12が初となる。大日本は血まみれのデスマッチ、ヘビー級たちのストロングBJが2大ブランドで、ジュニアは“ストロングJ”を掲げ団体内での確立をまだまだ目指している途中。新日本や全日本など老舗団体では当たり前のようにあるジュニア枠も、大日本ではまだまだ“出来たてほやほや”状態。それゆえに可能性があるとも言える。

「感慨深いものが自分のなかにあるけど、大日本的には挑戦でもあると思うんですよね。ストロングとデスマッチという2大ブランドがあって、いままで大日本はデスマッチがメインだったり、そのなかでもストロングヘビーがメインだったりした。ジュニアヘビーがメインというのは挑戦だし、そういった意味での責任もでかい。だから、すごく居座りの悪い緊張感ですね。けど、それで怖気づくのは問題外なので」(和樹)

 和樹は団体にジュニアというカテゴリーがない時代から、90年代に新日本ジュニアで一時代を築いた金本浩二や、現ZERO1・高岩竜一らと激闘を重ねてきた。とくに高岩は、師匠の一人でもある。現在、高岩のフィニッシュホールドであるデスバレーボムを改良した“デスバレーボム・ホールド”を使用しているが、これは超竜との闘いを通じて会得したものだ。

「一番最初に僕に道を開いてくれたのがアニマル浜口会長で、はじめにプロレスのイロハを教えてくれたのが関本大介と高岩竜一。プロレスのすごさを教えてくれたのが金本浩二で、プロレスの楽しさを教えてくれたのが佐藤耕平。ちょっと多いですけど、5人ぐらい先生がいる。高岩さんへの思いはひとしおで、いつかまたやりたい」(和樹)

浜口道場訓“最後は勝つ”

 和樹は、激烈なる試合内容とは裏腹に、まだシングル王座を戴冠したことがない。自らが大日本に立ち上げたジュニアで、2度にわたって勝てなかった忍を撃破し、10周年に向け走り出すことができるのか。その勝負どころが、まさに8・12後楽園なのだ。

「人生で初めて骨折して欠場したりとか、いままで受けてきた痛みも苦しみも含めて、すべてをぶつける。そうじゃないと忍に勝てない。悪いですけど、ダテに佐藤耕平や金本浩二とシバき合いをしてきたわけじゃないですからね。僕なりのジュニアを忍にぶつけて、今度こそ僕がベルトを取れば、大日本のジュニアはスタートする。僕がいままでやってきた打撃戦、“明日どうなってもいいような”打撃。明日動けなくなってもいいし、相手が明日動けなくなったらザマーミロで。そういう修羅場をくぐってきた。だから、明日を見ない試合、明日を考えない試合をする。エルボーから蹴りから頭突きから、すべての打撃に気合と魂を込めてブチ抜くだけ」(和樹)

 浜口ジムにはいまも時折練習に行っており、浜口会長からは現在もアドバイスをもらうなど師弟関係が続いている。「浜口道場生だったらわかるんですけど、練習をスタートする前、壁に書いてある“浜口道場訓”というのをバーッと読むんです。ラストの一言は“最後は勝つ”で必ず締めて、気合を入れる」と和樹。原点である浜口ジムで、叫び続けた“最後は勝つ”。和樹のプロレス人生はこれまで、敗北を糧に突き進みながらも、大きな勝利は得られずに来た。8・12後楽園、和樹は大会のトリを飾るメインイベントのリングで、“最後は勝つ”を師匠に届けることができるか。

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