|誰にでも可能性があると信じて、子供を成長させることを大事にする1989年に創設されたFCアミーゴは、鳥取県のジュニアクラブチーム第1号である。設立からの10年間で、全日本少年サッカー大会(現・全日本U-12サッカー選手権大会)に7回、通算では14回も出場している強豪だ。当時から現在まで、ぶれなく貫いてきた子供の自主性を重んじる指導方針などについて、金坂博代表理事兼U-15チーム監督に聞いた。
(引用:第126回ジュニア年代クラブ訪問「FCアミーゴ(鳥取県)」より)
取材・構成/平野貴也
|楽しませることを重視する指導スタイル
サッカーは楽しくやるもの。そんな考えも、大人たちが怒鳴り頑張らせる指導をするのが当たり前だった時代には"生ぬるい"と言われたという(Photo:平野貴也)―クラブの成り立ちを教えていただけますか?金坂 現在、クラブの総括をしている拝藤均先生がつくったチームです。拝藤先生は小学校の教員で、赴任先の学校でサッカーを指導していましたが、転勤するたびにチームづくりを一からやり直すことになっていたので、1989年に鳥取県初のジュニアクラブチームとしてFCアミーゴを設立しました。
私は、長男がFCアミーゴにお世話になったことをきっかけに、2004年からおとうさんコーチのような形で指導に携わるようになりました。08年か09年頃に拝藤先生の勤務地が愛知県名古屋市へ変わった際に、私がクラブを預かる形になりました。拝藤先生が戻ってきてからもチームの運営を任せてもらっています。
―スポーツ少年団が一般的だった80年代にクラブ化したのですね。現在はNPO法人として運営しています。
金坂 クラブは08年からミニトランポリンを使った運動教室やサッカースクールなどの事業を行なうようになり、運営母体をウルトラカルチャーアンドスポーツという総合型地域スポーツクラブにしました。その後、14年にNPO法人ウルトラスポーツクラブという形に変更しました。今、チームとして運営しているのはFCアミーゴだけですが、スクール活動としては、保育園などでの巡回サッカー教室のほか、専門の指導者を招いて体操教室を開いたり、トランポ・ロビックスという小さなトランポリンを使った運動を教えたりもしています。
―サッカーチームとしては、どのように変化してきた歴史があるのでしょうか?金坂 私がコーチとして加わった頃は、大人が怒鳴って子供たちを勝利に向かって頑張らせるような指導スタイルが一般的な時代でした。しかし、私自身がサッカーは楽しくやるものだと思いながらプレーしてきましたし、運動が得意ではない子が肩身の狭い思いをするような光景は嫌だと感じていました。ですから、とにかく子供が楽しんで、その中で勝利や強さを求めていくチームが良いと思って指導していました。当時は「そんな生ぬるいことを言っていては勝てない」と、ほかの指導者や保護者の方から言われましたが、楽しませることを重視する指導スタイルの私が、拝藤先生にチームを任せてもらえたことが、自信になりました。
拝藤先生が戻ってきてからは、厳しい指導ばかりでなく、子供に現代的な教育をしていく必要があるという話になり、京都サンガF.C.のアドバイザーなどを務めた池上正さんやメンタルコーチの藤代圭一さんを招いて、指導者と保護者を対象に講習会を開いたりしました。教育コミュニケーションの第一人者である小山英樹先生には、毎年来ていただいています。私たち指導者が教わりながら、子供主体の指導方法に少しずつ変えていきました。
|全員を出場させる方針で、全国大会特別賞
どんな舞台でも全員が出場する。一人ひとりがメンバーとしての自覚を持ち、またそれもモチベーションへと繋がるのだろう(Photo:平野貴也)―練習内容やメニューなどに特色はありますか?
金坂 子供が一生懸命にサッカーに取り組めば、必要な技術は自然と身についていくものだと実感しています。大事なのは、サッカーを好きになって、一生懸命に取り組み続けることです。大人が用意したトレーニングを押しつけても、頑張らなければいけないと子供が追い込まれた気持ちになったら、思うように伸びていきません。「あんなにうまかったのにやめちゃったの?」という話は珍しくありません。逆に、小学生の頃はリフティングが下手だった子でも、サッカーが好きで毎日練習していれば、中学生になる頃には技術をしっかり身につけているものです。
ジュニア時代は、技術だけを伸ばそうとするのではなく、子供たち同士で支え合うこと、みんなで頑張って盛り上がること、困ったときに助け合って解決することなどを経験して覚えてもらうほうが大切だと考えています。
プレーに関しては、「得点する、失点しない」ということにシンプルにこだわれば、子供たちは見て真似をして、技術をどんどん身につけていきます。私たちは、もともとはしっかり細かく教えるスタイルでした。拝藤先生は、自身が競技経験がない中で、ものすごく勉強熱心で、勉強したことを子供たちに教え、ほかの指導者たちにも伝えることで、鳥取県のサッカー界を引っ張ってきた人です。昔ながらのちょっと厳しい雰囲気をまとって、しっかり教えてくれる拝藤先生と、子供と近い距離にいて楽しませることを大事にした上で、教えるというよりもやらせてあげる私のような指導が一緒に行なわれるのが、ちょうど良いのかもしれません。
拝藤先生は、19年から22年まで、メキシコの日本人学校に行っていたのですが、現地ではみんなで楽しむことをもっと大事にしていたそうです。PK戦になったら、見ている保護者がペナルティーエリアのすぐ外まできて、子供たちと一緒に盛り上がってワイワイやっていたのを見て、「あれぐらい楽しんでやったほうがいいんじゃないか」と言われるようになりました。
―自発性を重視する方針で、全国大会にも複数回出場しています。金坂 どんな舞台でも全員を出場させる方針でやっていますが、それでも、全国大会で強豪チームと互角に戦ったことがあります。14年の全日本少年サッカー大会(現・全日本U-12サッカー選手権大会)で、優勝候補筆頭だった横河武蔵野FC U-12(東京都)と引き分けた試合が印象的でした。横河武蔵野には、のちにジュビロ磐田に加入内定する角昂志郎選手(筑波大学)がいて、その年の秋にはダノンネーションズカップで世界一になっていました。
対戦する前夜のミーティングで「チームの武器は何か?」と問いかけ、「ブレ球を蹴る子のフリーキックだね」「きっと雨だから、こぼれ球を詰めよう」「それしかないね」と話していました。でも、試合が始まったら7分で失点(笑)。これはマズいと思ったのですが、逆に子供たちの気持ちが吹っ切れて、ものすごく強気なプレーが見られるようになりました。すぐに同点に追いついて、作戦通りにフリーキックのこぼれ球を押し込んで逆転しました。最後の最後、終了間際に同点にされてしまいましたが、表彰式で特別賞をいただきました。
大人が強制するのではなく、自ら上手くなりたい、勝ちたいと思い練習しているのが写真からも伝わってくる(Photo:平野貴也)―私もその試合を取材に行っていましたが、大健闘でした。金坂 ジュニア年代はやるぞ、できるぞと思ったときのパワーが半端ではありません。翌年の15年は「弱い年代」と言われていたのですが、前年の結果で自信を得たのか、全日本少年サッカー大会でもフットサルのバーモントカップでも県大会で優勝できました。
バーモントカップのときは、私は喉にできたポリープの手術のため、最終日の準決勝と決勝に立ち会えませんでした。そこで、練習は筆談で指示を出し、試合前には一人ひとりに手紙を送りました。そうしたら、試合を終えた子供たちが優勝カップを持って病院に来てくれました。「この代は県大会優勝なんて無理」と言われていた子たちのたくましい姿を見て、こいつら、やるな、格好いいなと思ったことは忘れません。
その年の全日本少年サッカー大会では、フェアプレー賞をいただきました。横浜F・マリノスプライマリーには0-11で大敗しましたが、できるプレーを一つでも成功させようと声をかけ続けて、試合の中で少しずつ良くなっていきました。それを見た大会関係者の方から、「最後、ボールを奪えるようになりましたね」と声をかけていただきました。ゴールを何点も決められている中でも選手が諦めずにチャレンジし、何かをつかみとろうとする姿勢を、認めてもらえてうれしかったです。
|夢中になって上手になるサイクル
サッカーに夢中な子供たちの姿を見ると、上手くなりたいという気持ちが伝わってくる(Photo:平野貴也)―本気で勝ちたい、うまくなりたいと思う機会が、一番の成長材料ですね。金坂 指導で1番大事にしなければいけないのは、子供たちをその気にさせることだと思います。しかし、逆効果となる指導や期待が世の中には多いと感じます。大人が子供のために良かれと思って教えることでも、大人から子供にサッカーを詰め込もうとするのは、ただの欲張りにすぎません。
子供は、楽しいはずのサッカーなのに、やらなければいけないことに疲れてしまいます。疲れてくると集中力がなくなり、ミスが出て、怒られて、また楽しくなくなります。夢中になって上手になるサイクルとは真逆です。英才教育で成功する選手もいるとは思いますが、何万分の一の可能性でしょう。子供は、みんなが同じように教えられたことをすぐに覚えてステップアップするわけではありません。その子に対して最適かどうかを無視して押しつけるのは、良くないと思います。
―練習環境は、設立当時と変わらないのですか?金坂 当時は境港市と米子市にスクールがあったのですが、今は境港だけになっていて、米子空港近くの中浜サントピアと市民スポーツ広場を利用しています。当時はどちらも土でしたが、境港市の公共施設は、小学校の校庭を含めて、10年頃に天然芝になりました。
―最後に、今後どのようなクラブにしていきたいと考えているかを教えてください。金坂 子供の自主性を大事にするスタイルで、一時期は全国大会に出場できていましたが、最近はその舞台から遠ざかっています。少子化が進む中、子供たちは強いチームに集まっています。数年結果が出ないと、「アミーゴって、昔は強かったらしいよ」と昔話のように言われてしまいます(笑)。
でも、指導スタンスを変えずにやってきて、今でも県大会のベスト16やベスト8に進んでいます。子供たちはすごく成長していて、まったく勝ち目がなかった強いチームと勝負できるようになったりもします。中には、よそのチームでサッカーがつまらなくなってしまった子が、うちに来て「やっぱりサッカーは楽しい」と言って続けている姿もあります。
もちろん、試合には勝ちたいです。でも、どこまで勝てたかよりも、誰にでも可能性があると信じて、子供を成長させることのほうを大事にし続けたいと思います。
金坂博氏(Photo:平野貴也)
PROFILE
金坂博(かねさか・ひろし)
1969年4月17日生まれ、鳥取県出身。米子工業高校時代に、全国高校総体と全国高校サッカー選手権大会に出場した。2004年に長男が加入したことをきっかけに、FCアミーゴで指導を開始。U-12チームとU-15チームを指導し、現在はU-15チームの監督を務める。22年から、NPO法人ウルトラスポーツクラブの副代表理事を兼ねている
『第126回ジュニア年代クラブ訪問「FCアミーゴ(鳥取県)」』を掲載した「サッカークリニック2024年12月号」は
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