青学大の箱根駅伝Vメンバーが、SGホールディングスで再びチームメイトに。関西実業団駅伝では3年ぶりに頂点に立ち、ニューイヤー駅伝へ準備を進めている。箱根駅伝2区での激闘が記憶に新しい近藤幸太郎と、“駅伝男”の佐藤一世が、第100回箱根駅伝総合優勝の秘話をはじめ、年末年始に行われる高校・大学・実業団の駅伝の違いや魅力について語り尽くす(構成/生島 淳)。
インフルエンザ、盲腸からの4区区間賞――近藤幸太郎選手と佐藤一世選手は、2022年度まで青山学院大の先輩、後輩でしたが、今年からSGホールディングスで再びチームメイトになりましたね。
近藤 一世は走ることだけでなく、普段からチームの雰囲気を盛り上げてくれているので、助かってます。
――佐藤選手がSGホールディングスを選んだ理由として、近藤選手が進んでいたというのも大きかったですか。
佐藤 近藤さんだけでなく、中村唯翔さんという青学時代の憧れの先輩2人がいたこともあって決めました。大学時代から陸上ばかりではなく、プライベートでも一緒に食事に行ったり、お世話になっていたので。
近藤 今年は、一世のほかにも東海大出身の石原(翔太郎)、立教大出身の関口(絢太)が入ってきて、にぎやかになりました。
佐藤 そんなににぎやかですか? 合宿のときとか、先輩方と会話しながら食事するのが楽しくて。
近藤 24年入社組は、なかなかいい雰囲気つくってくれてるよ。
――この季節になり、お二人を前にすると、やっぱり大学時代の話を聞きたくなります。青学大では多くのレースを走りましたが、思い出に残っているレースはありますか。
近藤 たくさんあるのと、どれか一つを選ぶとなると難しいですね……。あえて一つ挙げるとするなら、2年生のときに、初めて青学のユニフォームを着て走った全日本大学駅伝ですかね。
――覚えています。2区を走って、区間13位でした。厳しいレースが印象に残っているんですか。
近藤 結果的に外してしまい、チームに流れを持ってくることができませんでした。それこそ、一世が5区で区間賞を取って順位を上げてくれましたけど、あの失敗が自分を成長させてくれたと思っているんです。年が明け、箱根駅伝の7区で区間3位の走りができて、あの全日本が本格的な競技者としてのスタートだった気がします。学生の間は、失敗からの学びが大きいですね。
――最後の箱根駅伝、2区で中大の吉居大和選手と、駒大の田澤廉選手(共に現・トヨタ自動車)とのデッドヒートを記憶している人も多いと思いますが……。
近藤 あの2区ですか? 実は、目いっぱいだったんで、あまり覚えてないんです。でも、皆さんからそう言っていただけるのはうれしいですね。
第99回箱根駅伝の2区で中大の吉居大和、駒大の田澤廉と激闘を繰り広げた近藤(写真/中野英聡)――あまり記憶がないほど、全力だったということですね。佐藤選手は箱根駅伝を4度走り、優勝2回、特に前回の箱根では4区を走って優勝を決定づけ、箱根では初めての区間賞も獲得しました。
佐藤 やっぱり、大学スポーツって4年生が中心なんですよ。箱根は1年生のときから走らせてもらって、どのレースも優勝に貢献したいという思いは変わりませんでしたが、自分たちが4年生になったときには絶対に勝ちたいと、同級生と話していました。
――出雲駅伝、全日本では苦戦を強いられ、駒大の三冠が有力な情勢でした。
佐藤 出雲、全日本と駒澤の圧勝でしたからね。箱根では往路で主導権を握りたいと考えていたら、3区で太田蒼生(現・4年)が駒澤を抜いてトップに立って、先頭でタスキを持ってきてくれたんです。
――佐藤選手、かなり突っ込んで入ったのを記憶してます。
佐藤 実は12月にインフルエンザにかかり、治ったと思ったら中旬に今度は盲腸にもかかってしまって。
近藤 それでよく走れたよね。
佐藤 奇跡ですよ(笑)。正直、練習が満足に積めていたとは言えない状態でしたが、駒澤の山川君(拓馬、現・3年)には後ろにはつかれたくなかったので、最初の1㎞を2分40秒くらいで入りました。
近藤 あれだけ突っ込んで失速するんじゃないかって心配してたよ。
佐藤 最後までなんとか粘れました。僕としては、流れを引き寄せて5区にタスキを渡せたので、4年生としての責任を果たせたかと思いますし、優勝できたのは本当にうれしかったです。
第100回箱根駅伝の4区で区間賞を獲得した佐藤。駒大の山川拓馬(現・3年)と4秒差でスタートし、1分26秒突き放した(写真/中野英聡)
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