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2019-11-12

【ソフトボール】 さゆ先生のピッチングクリニック(4)

ソフトボール・マガジンで連載中の『さゆ先生のピッチングクリニック』。元日本代表の山根佐由里さんによる、ピッチングの技術紹介企画です。ソフトボール・マガジンWEBでは、過去に掲載した記事を順々に紹介してきます。今回は、その4回目。ピッチング技術を紹介する前に、山根さんのソフトボール人生を振り返っていただきました。

中学校時代の思い出
(2)転機の中学2年生

 全体練習は厳しかったですよ。スクールバスに乗って通っていたので、最終の18時便まで毎日2時間半ぐらい練習していました。授業が終わったら急いで着替えて、アップしてダッシュしてキャッチボール。それが終わったらボール回し、ノック、バッティング練習と、短い時間にいろいろとやっていました。近くに芝生の公園があったので、冬になるとクロスカントリーもしていました。2kmくらいだったと思うんですけど、2組に分かれて2人ずつ走っていくんです。競争しながらだから、すごくきつかったです。

 私が入学する2、3年前、姉が在籍していたときに度会中は全中(全国中学校大会)で3位になっていて、だから度会中での目標は中学1年で入部したときから「全国制覇」でした。みんな言っていたし、筆箱にも書いていましたね(笑)。そして、中学2年のときに3年生の西岡里恵さん(元Honda)がエースで初めて全中に出場することができました。しかし、1回戦負け。全国のレベルの高さを初めて目の当たりにしました。すごく悔しかったですね。

 そのとき先生がこんなことを話してくれました。「先輩たちが3位になって、3位ってすごいことかもしれないけど、3位は敗者だよ。だって準決勝で負けているでしょう。自分たちが目指しているのは、決勝で勝つことだから」と言われて、ハッとしました。「そうだ、一番を目指そう」とそのときに思ったんです。

 その年は、ちょうどシドニーオリンピックがあって、毎年三重県で開催されている豊田自動織機のクリニックで、私が実業団にあこがれるきっかけになった宮本(直美)さんに会った年でもあります。「全中を制覇したい」「実業団に入りたい」「日本代表になりたい」と、いろいろな目標が生まれた年でした。

 あとは後輩が入ってきたことで、「このままじゃダメだ!」と危機感を抱き、ピッチングと向き合う意識も変わってきました。中学の先生は、学年に関係なく良い選手を試合に出す方だったんです。結構球が速い子だったので、絶対に負けたくないと思って必死に練習していました。

 3年生のときは東海大会で3位に終わり、全国には行けませんでした。ただ、NTS(全国女子ジュニア育成中央研修会、現在のGEMプロジェクトの前身)に選んでいただいたことが、上を目指す良い刺激になりました。ちなみに私、NTSの1期生なんですよ。そのときは地区選抜をつくって参加するという形だったんですが、セレクションのときに初めて自分の球速を知りました。一人ひとり投げていくんですが、一番目に投げた選手が91kmを出して、「中学生でこんなに出るってすごいな~」なんて思っていたら、自分はそれを上回る97km。「え!? 私こんなに出るの?」って(笑)。

 結果、東海選抜に選んでいただくことができました。そこから各地区の選抜チームが天城ドームに集まって試合をしたんですけど、初めて全国レベルの選手たちの実力を目の当たりにして、これはヤバいなと思いました。私にはスピードはあったけど、持っている球種がストレートとハーフボール(速球とチェンジアップの間の球)しかなかったんです。周りを見渡せば、ライズを投げる選手がいるわ、チェンジアップを投げる選手がいるわで、ビックリしましたね。

 試合は1位決定戦までいったけど、雨で試合ができなかったんです。やっていれば優勝できていたかもって思うぐらい東海選抜は強かった。当時のメンバーには確か、渥美(万奈、トヨタ自動車)、西岡さんの妹の宏華(元デンソー)、藤原未来(元伊予銀行)がいたかな。みんな仲が良くてチームワークも良かったんですよ。

 小学6年生のときに138cmしかなかった身長は、中学で18cmも伸びました。特別大きなケガもなかったし、「西岡さんに負けたくない」「後輩に負けたくない」という思いで練習を頑張っていて、気付いたら97km出ていた(笑)。そんな中学時代でした。(ソフトボール・マガジン2018年10月号掲載記事)

講師プロフィール

山根佐由里(元トヨタ自動車)
やまね・さゆり/1990年1月24日、三重県出身。右投右打。投手。宇治山田商業高-レオパレス21(2008年~09年)-トヨタ自動車(10年~17年)。高校3年時に世界ジュニア選手権で準優勝。レオパレス21時代の実業団1年目に新人賞に輝く。トヨタ自動車移籍後、12年から16年までの5年間でリーグ記録の42連勝を打ち立て、14年には最優秀投手賞を受賞。日本代表では10年、14年、16年と世界選手権出場。17年限りで現役引退。

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