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2020-10-20

【私の“奇跡の一枚” 連載89】“超人大関”増位山 父の現役時代最大の後悔

当時167センチ、70キロという15歳の細い体には、すでにすさまじいまでのドラマが詰まっていた(左から2人目)

長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。

『相撲』創刊号掲載の新弟子

 相撲ファンにとってはもちろん、協会関係者にとっても欠かせぬ本誌のそもそものルーツは、昭和11(1936)年に“大日本相撲協会機関誌”として華々しく協会から直接創刊された『相撲』誌にある。

 その創刊号(「夏場所特集」=昭和11年5月1日発行)に掲載されていたのが、この「新弟子検査風景」写真。10年1月場所の検査で、左に立っている眼付きの鋭い新弟子が私の父(元大関増位山大志郎、先々代三保ヶ関)の若き日の姿である。同期生にはのちの横綱照國、小結の若瀬川がいた。

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