「高嶋仁先生[智弁和歌山前監督]を囲む会」に292人が参加

 第100回を数えた昨夏の甲子園大会を区切りに退任した智弁和歌山・高嶋仁前監督(現在、智弁和歌山ならびに智弁学園の名誉監督)の功労をたたえる「高嶋仁先生を囲む会」が2月11日、大阪市内のホテルで開かれた。

写真/ベースボール・クリニック

 2002年の夏の甲子園決勝で智辯和歌山との対決に勝利し、初の日本一に立った明徳義塾の馬淵史郎監督や昨春の甲子園決勝で智弁和歌山を下し、史上初の2度目の春夏連覇の足掛かりとした大阪桐蔭の西谷浩一監督らが発起人を務め、北は北海道、南は沖縄から292人の野球関係者が参集。日大三・小倉全由監督、大垣日大・阪口慶三、帝京・前田三夫監督、横浜・渡辺元智前監督、PL学園・中村順司元監督なども出席した。

 高嶋氏が指導者を志したのは、長崎・海星高時代のこと。2、3年夏に出場した甲子園で得た感動により「指導者となって生徒たちにも味わわせたい」と思ったことが動機となった。1年の浪人生活の末、体育教員を全国に輩出する日本体育大に進学。卒業後の1970年に奈良・智弁学園にコーチとして招かれ、指導者生活をスタートさせると、72年、25歳で監督に就任。76年春に甲子園に初出場、77年には春夏ともに聖地に導き、春はベスト4に進出するなどキャリアを積み上げた。

 智弁和歌山の監督に就任したのは80年。開校3年目の歴史の浅いチームの礎をイチから築いた。6年目の85年春に同校初の甲子園出場。しかし、初勝利は遠く、6度目の出場となった93年夏にようやく聖地に一歩を刻んだ(対東北、2対1)。

 智弁和歌山が全国屈指の強豪に名を連ねるようになったのはそこからで、94年春、97年、00年夏に優勝、4度の準優勝を果たした(96、00、18年春、02年夏)。春夏通算38度の甲子園出場、監督として甲子園通算68勝は高校野球史に打ち立てた金字塔だ。

 48年間の指導者人生を振り返った高嶋氏は、「僕自身がすごいことをしたとは思っていない。(甲子園の記録は)僕が勝ったのではなく、選手が頑張ってくれたもの。僕はグラウンドで選手を絞っただけ」とコメント。

 そして、「生徒への指導が難しくなっている時代。指導者が変わる姿勢が必要だと思う。生徒との育った環境の違いを認めることが大事。もう一つ、選手に対して声を荒げる前に、自分が高校生のときにどれだけの選手だったかを省みてほしい。自分がそれほどの選手ではなかったから指導者として野球に携わる道を選んだはずで、そうであれば生徒、選手をもっと大事にしていける」と高校野球の未来を託す指導者たちにメッセージを送った。

画像: 発起人は明徳義塾・馬淵監督、大阪桐蔭・西谷監督、早大・高橋広前監督、日体大・古城監督などが務めた

発起人は明徳義塾・馬淵監督、大阪桐蔭・西谷監督、早大・高橋広前監督、日体大・古城監督などが務めた


This article is a sponsored article by
''.