本人だけは頑なに否定するだろうが、八重樫東(大橋)は、誰がなんと言おうが“レジェンド”である。彼を尊敬するボクサーは依然多く、普段はボクシングに興味を持たない一般の人たちにも知名度と人気は絶大だ。いまやすっかり偉大なる“チャンピオン”と化した八重樫だが、そんな存在へと突き進んだ転機となる試合があった──。現在発売中の『ボクシング・マガジン4月号』の大特集「岐点──。アップセットの構図/Turning Point」の“特別編”として、彼の足跡を辿りなおしてみよう。

上写真=国内男子史上初の世界4階級制覇を目指す八重樫。4月8日(月)、後楽園ホールのメインイベントに登場する 写真/本間 暁

男子3階級制覇者は7人。中でも八重樫は特異な存在だ

 亀田興毅(亀田→協栄=WBAライトフライ、WBCフライ、WBAバンタム)、ホルヘ・リナレス(帝拳/ベネズエラ=WBCフェザー、WBAスーパーフェザー、WBC&WBAライト)、井岡一翔(井岡→フリー=WBC&WBAミニマム、WBAライトフライ、WBAフライ)、長谷川穂積(千里馬神戸→真正=WBCバンタム、WBCフェザー、WBCスーパーバンタム)、井上尚弥(大橋=WBCライトフライ、WBOスーパーフライ、WBAバンタム)、田中恒成(畑中=WBOミニマム、WBOライトフライ、WBOフライ)。

 これまで、日本ボクシング界は7人の世界3階級制覇達成者(男子)を生んできた。階級が細分化され、JBC(日本ボクシングコミッション)が承認する団体も、かつての2から4団体に増えた。昔のように、ジュニア(ライト)クラスがない時代の3階級制覇とは、その価値において、比べものにならないという意見もある。けれども、どのボクサーも、記録にも記憶にも残る素晴らしい実績を誇る。
 そして、その中でも特に異質の輝きを放っているのが、八重樫東(大橋)ではないかと思う。

 2月で36歳になった八重樫は、もちろんいまもなお現役。現在は国内史上初の4階級制覇を目指す立場にあるが、彼が“レジェンド”級の存在感を示し、ボクシングファンを飛び越えた人気と知名度を獲得しているのは、なにも3階級制覇を果たしたからではない。
 打たれても打たれても前に出続け、倒れても倒れても立ち上がり、戦うことを決してあきらめない。そんな姿に感動し、共鳴し、勇気づけられるからだ。

 国民性なのか。日本人は特に、昔からこういう男に心を奪われる。“浪速のジョー”辰吉丈一郎しかり、“平成のKOキング”坂本博之しかり。そして、八重樫本人はまったく不本意だろうが、彼がたとえ敗れても、人々の心は離れていかない。いや、むしろもっともっと人々の心をわしづかみにしてしまうのだ。

 だが、いまでこそスペシャルな存在となった八重樫だが、こんな姿を想像できない時代があった。日本チャンピオンとなり3度防衛したころ。最初の世界タイトルを獲得するまでの期間である。

かつては攻撃的なアウトボクサーだった

 地元・岩手の黒沢尻工業高校でボクシングを始め、インターハイを制覇。拓殖大学時代にはライトフライ級で国体優勝。そして、鳴り物入りでプロデビューし、5戦目でOPBF東洋太平洋ミニマム級チャンピオンとなった。
 その勢いのまま、当時最速となる7戦目で世界初挑戦したが、ときのWBC王者・イーグル京和(角海老宝石)にアゴを折られ、惨敗。“音速の拳”と呼ばれたハンドスピード、フットワークで、それまで貫いてきたアウトボクシングを、なおいっそう徹底的に磨いていった。

 巧くて速いアウトボクサー。その当時までの八重樫の印象だ。しかし、そのころ、八重樫は肩や目など、度重なる負傷に苦しめられていた。

「練習できないのは辛かったですね。でも、ボクシングのことは考えてなかったです。考えても意味がないから。家族がいたので、家庭のことをずーっとやってました。早く治して、ボクシングしたいなぁという気持ちもあったけれど、常に生活に追われてる感があって。だから、悩み苦しんだ時期なんてないんです。それに僕、楽天的なので(笑)」

 およそ4年半ぶり、2度目の世界挑戦が決まったのは、そんな折だった。
WBA世界ミニマム級王者ポンサワン・ポープラムック(タイ)。それこそ、打たれてもひるまず、どんどん向かってくる男。“ターミネーター”のニックネームを持つ不屈のチャンピオンだった。

「勝てば人生が変わる、とは思わなかったです。ボクシングを続けたい、負けたらおしまい。勝てば続けられる。続けたいのにな。自分の道を続けたい、先延ばしにしたい、という気持ちばかりでした」

 どファイターの王者に対し、八重樫はフットワークを駆使したポイントアウト、をしなかった。敢然と打ちかかっていく。「足を使うと思ったヤエガシが、前に出てきて驚いた」とはポンサワンのコメントだ。

ピンチを迎える場面もあったが、八重樫は怒涛の連打で10回レフェリーストップに持ち込んだ

2度目の世界挑戦で、ベルト奪取に成功した八重樫は、歓喜の雄叫び。左が大橋会長、肩車をするのが松本トレーナー

「何度も何度も手を突っ込んで、お湯の熱さを確認する僕に対して、八重樫は、いきなり湯船に飛び込んじゃうタイプ」と松本好二トレーナーは、八重樫の性格を事あるごとに表現する。生粋のファイター気質。むしろ、それまでの長いキャリアで培ってきたアウトボクシングは、“羊の皮をかぶった”状態だったのだ。

一気に大勝負へ

 壮絶な殴り合いを制し、世界チャンピオンとなった八重樫に、すぐさま大勝負が組まれる。対抗王者、WBCチャンピオンの井岡一翔(井岡=当時)との王座統一戦であった。

「『えっ? 井岡君とできるんですか!』って、最初に聞いたときはびっくりしました。だって、井岡君に勝ったらオオゴトじゃないですか」

 当時(2012年6月)、大橋ジムのチャンピオンは八重樫ただひとり。細野悟が世界ランカーだったものの、日本王者もOPBF王者も不在。“モンスター”井上尚弥は、同年10月にプロデビューを控えていたが、川嶋勝重以来、ようやく誕生した大橋ジムふたり目の世界チャンピオン、八重樫がジムを支えていたといっていい。そんな大切な選手に、いきなり大勝負を挑ませてしまう。普通なら、考えられないことだ。

「それが大橋秀行という男なんです。それに、勝負に出る、という点で僕も会長とすごく似てる部分があると思うんです。でも、会長は天才。試合中のセコンドで、『アッパーが当たるから打ってみろ』とか言われて打つと、それが実際に当たるんです。僕たちには見えないものが、会長には見えるんでしょうね。この大勝負もそう。会長には、何かが見えていたんじゃないでしょうか」

 序盤から、目の周りの腫れに悩まされた。明らかに目は塞がっている。絶対に見えていない。それでも八重樫は、前に出続けて渾身のブローを放ち続けた。それが、パンチをもらわないことに長けている井岡の顔面を捉える。

目を腫らせながら、それでもひるまずに渾身のパンチを打ち込んでいった

「大阪は井岡君の地元だし、どんな罵声を浴びせられるだろうと……」覚悟していたが、ヤエガシコールは、回を重ねるごとにぐんぐんと募っていった。これは勝手な想像だが、浪速の人々は、1994年12月、あの頂上決戦のときのスーパーヒーローを、八重樫東という男に重ねたのではなかろうか。

終了のゴングが鳴ると、井岡と八重樫は熱く抱擁を交わした。ボクシングのもっとも美しいシーンのひとつだ

 両目周りを異様なほど腫れあがらせた八重樫だったが、最後の最後まで立ち続け、前に出続け、そして魂のブローを振り続けた。ポイントは、1ポイント、2ポイント、2ポイントと微差。ほんのわずか届かなかった。ベルトを失った。

画像: 決して悪びれず、敗者は勝者を讃えた。会場のファンも、お茶の間の一般視聴者も、心を打たれた場面だった

決して悪びれず、敗者は勝者を讃えた。会場のファンも、お茶の間の一般視聴者も、心を打たれた場面だった

勝負勘と信頼が生んだ結晶

 両肩を抱えられなければ歩けない。ダメージではなく、腫れて目が塞がった上に、暗がりで見えないから。そうやって控え室へと向かう八重樫に、スタンドからは惜しみない拍手と労いの言葉が降りそそぐ。

「ヤエガシー! おまえ勝っとったでー!」

 一聴するとぶっきらぼうに聞こえてしまう関西弁のシャワーは、優しく温かく敗者の全身を包み込んだ。

 涙はまったくなかった。いやむしろ、八重樫は微笑すら浮かべていた。精一杯戦い抜いた男のカッコよさがにじみ出ていた。

 敗者としては異例の一夜明け会見も行った。青黒く腫れ塞がった目が痛々しかったが、でもやはり、それまで見たことないくらい清々しかった。

「辞めようなんて思わなかった。またワンチャンスあると思ったから。会長が、『またチャンスつくるから』って言ってくれたから」

 井岡との対戦から遡ること2ヵ月。八重樫は、それまで独学で取り組んでいたフィジカルトレーニングを、専門のトレーナーについて学び始めていた。それが土居進トレーナーだった。そこから和田良覚、野木丈司、早川怜の各トレーナーに学び、フィジカルの奥深さをひたすらに追求し、ボクシングへと体現していく。その姿はまさしく求道者。八重樫には、職人の風格すら漂うようになっていった。

「世界チャンピオンになるまでは1本の道しかない。でも、なった途端に、道が何本もできる。そこの分岐点のところで視野が広がると同時に、可能性も広がるんです。そこで何をチョイスするかは、人それぞれだと。
 でも、負けてもまた上がれたのは、会長のおかげ。自分の力じゃありません。
 それまでのボクシング人生を逆転しようなんて思わなかった。導かれていった感じですね」

“無敵”のゴンサレスにも、果敢に打ちかかっていった八重樫。9回TKO負けでWBCフライ級王座を失ったが、この試合を心の名勝負に選出するファンも多い

 この後、八重樫は2階級上げてフライ級を制し、さらに一世一代の大勝負、ローマン・ゴンサレス(ニカラグア)戦で日本全国を感動の渦に巻き込み、“不動の存在”に至った。

 しかし、彼のボクシング人生を一気に引っくり返したのは、紛れもなく井岡との一戦だった。

「あの試合は、初めての全国放送だったんです。あれでみなさんに知っていただくことができた。すごく大きい。あれがターニングポイントでしたね」

 試合には敗れた。けれども、大博打に勝った。

 八重樫ならきっと何かをつかむことができる。師匠は、だからこそ打って出た。そして、弟子はその期待にたがうことなく、戦い抜いた。

 大逆転は、師弟の勝負勘と信頼が生みだした結晶である。

文_本間 暁 写真_BBM

※八重樫東の近況をお伝えする「いま、この瞬間を大切に楽しみたい」は、発売中の『ボクシング・マガジン4月号』に掲載。

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